天水訟・九五:紛争裁断でリーダーが最優先するのは公平さではない
訟卦の五爻には「訟、元吉」とある。九五は中を得て正しく、訟卦で唯一真に吉とされる爻だ。裁決者・仲裁者の位置を象徴し、中立で正しく明確な判断こそが人の心を納得させる。本稿では管理者・リーダーの視点から、九五の裁断の知恵を解きほぐす。
リーダーの仕事は、ほとんどの時間を業務に費やすのではなく、「裁判」を裁くことに費やしている。
二つの部署がリソースを奪い合い、それぞれに言い分があって、あなたに裁定を求めてくる。
二人の部下が仲違いして、どちらも自分が被害者だと思い込み、泣きついてくる。
ひいては二人の共同経営者が次の戦略の方向性で意見が割れ、収拾がつかなくなって、最後はあなたが決めなければならなくなる。
リーダーが一番恐れるものは何か?やる仕事がないことではない。どちらも大切な存在だから、どう裁いても誰かが不満を抱くことだ。偏った裁きをすれば「えこひいきだ」と言われ、あまりに平等にすれば「お茶を濁している」と言われ、厳しすぎれば「非情だ」と言われる。
では、いったいどう裁けばいいのだろう?
『易経』の訟卦の五爻は、裁定者の境地を語っている。たった四文字だが、その重みは計り知れない。それは**「訟、元吉。」**だ。
九五が訟卦で唯一の「元吉」である理由
訟卦の六つの爻のうち、他の爻は凶だったり厲だったり無眚(災いがないだけでも上出来)だったりするのに、九五だけが「元吉」——最初から最後まで、大いに吉である。
なぜだろう?
九五は君の位にあり、上卦の真ん中に位置し、剛健で中正だからだ。訟卦の中で最も高く、最も中正な位置にいる——それは裁判官であり、最終的に決断を下す者なのだ。
他の者は皆争っているのに、彼だけは争う立場にいない。裁くためにそこにいるのだ。
これは興味深い。局の中で争っていれば、勝ったとしても双方が傷つく。局の外に立って裁けば、あなたは吉となる。
だから九五の第一の意味は——**自分を紛争に巻き込まず、より高い位置に立って裁定すること**だ。
多くのリーダーは、自らが矛盾の生みの親になっている。今日はあの人にこの人の悪口を言い、明日はこの人にあの人の悪口を言い、最後に部下たちが揉め出しても、本人は何が起こったのか理解できていない。
本当にできる人は、自ら土俵に上がったりしない。上に立って下の者たちの争いを見守り、適切なタイミングで一锤定音(一言で決める)する。局の中にいないほど、その言葉には重みが増す。
元吉の前提は「中正」である
ただし、裁判官を務める者が誰でも「元吉」になれるわけではない。
もし偏った裁判官なら、その末路は誰よりも惨めなものになる。
なぜ九五は元吉になれるのか?それは「中正」——剛健で中正だからだ。この二つの言葉は、どちらが欠けてもいけない。
「中」とは、偏らず倚らず、どちらの側にも立たないこと。「正」とは、原則が明確で、ルールに従うことだ。
リーダーが裁判を裁く上で一番大切なのは公平さだろうか?そうだが、完全にそうとも言い切れない。
ウェン老師はこう言ったことがある:**従業員が心の中で求めているのは絶対的な公平ではなく、「自分が公平だと感じること」だ。** あなたがどれほど公平に裁いたつもりでも、当事者が「偏っている」と感じれば、それは偏っているのと同じなのだ。
では、当事者に公平だと感じさせるにはどうすればいいか?二つのものによる。
一つ目は、**公信力(公的な信頼)を持つこと**だ。普段のあなたの振る舞いは正しいか?私心はないか?以前に裁いた案件は、どちらにも偏らず平等だったか?そうしたことを皆は見ている。普段から平等に接していれば、いざという時にあなたの言うことを誰もが信じる。普段からあちらこちらに偏っていれば、どれほど弁明しても無駄だ。
二つ目は、**ルールを前もって伝えておくこと**だ。訟卦の卦辞には「君子は事を作るに始めを謀る」とある——最良の紛争処理は、最初からルールを定めておくことだ。皆がルールを知っていれば、問題が起きてもルールに従えばいい、誰も文句は言わない。怖いのは普段ルールがなく、問題が起きてから臨時でルールを決めることだ。それではどう決めても「偏っている」と思われてしまう。
九五の「中正」は、臨時に見せかけた姿勢ではなく、**長期間積み重ねられた信頼**なのだ。
訟卦九五の裁断の心得
具体的にどう裁判を裁くかについて、九五の爻にはいくつかの心得が隠されている。
一つ目の心得:**安易に土俵に上がらないこと**。
多くのリーダーは、部下に矛盾があると聞くと、すぐに飛び込んで裁定しようとする。結果、裁定しているうちに自分が当事者になってしまう——元々二人の矛盾だったのが、三人の矛盾になってしまうのだ。
上手なやり方は何だろう?まず急いで態度を示さないこと。双方に言い分を全部話させ、感情を吐き出させる。多くの場合、人が争っているのは理屈ではなく、意地なのだ。意地が収まれば、事態は解決しやすくなる。
急いで裁判官になろうとせず、まずは聴き手になること。全部聞いてから、言葉を発する。あなたの一言が方向性を決めるのだから、口を開くのが遅いほど、その言葉には重みが増す。
二つ目の心得:**事を裁き、人を裁かないこと**。
二人が仲違いした時、誰が良い誰が悪い、誰が正しい誰が間違っていると評してはいけない。事だけを語る——この件はどう処理するか、ルールは何か、今後どうするか。
人を評して「君は焦りすぎだ」「君は頑固すぎる」などと言えば、相手はすぐに怒り出す。元々は相手と争っていたのが、今度はあなたと争うようになってしまう。
だから高いレベルのリーダーは、案件を裁く時に事だけを語り、人のことは言わない。事が決まれば、人間関係も保てるのだ。
三つ目の心得:**双方に逃げ道を残すこと**。
九五が「元吉」なのは、判決が正しいからではない。判決が下った後、誰もが受け入れられるからだ。
どうすれば誰もが受け入れられるのか?双方に同じだけ罰を与える「お茶濁し」ではない。そうではなく——**勝った者には体面のある勝ち方をさせ、負けた者にはみっともない負け方をさせないこと**だ。
勝った者には、彼の言い分が正しい部分を認め、「争った甲斐があった」と思わせてあげる。負けた者には、「君の出発点は良かった、ただやり方に工夫の余地があるだけだ」といった逃げ道を作ってあげる。人を追い詰めてはいけない。追い詰められればウサギでも人に噛みつくものだ。
これが九五の「中正」の妙味だ——中とは、極端に走らないこと。正とは、底线(最低限のルール)を守ること。極端に走らなければ、誰にも活路がある。底线を守れば、ルールが崩れることはない。
優れた裁定者に必要な三つのもの
これまで話してきたように、本当に「元吉」を体現できる裁定者には、三つのものが備わっている。
一つ目は、**底气(自信と裏付けのある態度)**だ。自分自身が行いが正しく、座しても揺るがないこと。私心がなければ、言葉にも勢いが出る。自分の立ち位置が怪しいのに、どうして他人のことを裁けるだろう?
二つ目は、**耐心(忍耐力)**だ。急いで結論を出さないこと。「弾丸をしばらく飛ばしておけ」と言うように、双方に言い分を全部話させる。多くの矛盾は、話し合えば矛盾ではなくなる。急いで裁判官になろうとすれば、小さな矛盾を大きな矛盾に激化させてしまう。
三つ目は、**分寸(加減)**だ。何を言うべきか、何を言わないべきか。何を管轄すべきか、何を管轄すべきでないか。小さな事柄なら、片目をつぶって過ごせばいい。わざわざ是非曲直を裁く必要はない。「水が清すぎれば魚は住まず、人が察しすぎれば友はない」というものだ。
訟卦の五爻まで来ると、「争う者」から「裁く者」へのステップアップが見えてくる。
初六は小さなことで争うな、九二は勝てそうにないなら逃げろ、六三は争えないなら守れ、九四は勝てても争うな、では九五は?——**そもそも争う立場にいない、ルールを定めるためにそこにいるのだ**。
これは一つの境地の飛躍だ。
普通の人は一生争い続ける。勝ち負け、正誤、面子を争う。だが本当にすごい人は、とっくに争うレベルから飛び出している。上に立って下の者たちの争いを見守り、適切なタイミングでそっと手を振れば、事は解決してしまう。
これが九五の「元吉」だ——争って勝つのではなく、そもそも争う必要がないのだ。