訟卦九四:勝てるはずの裁判がなぜ負けたのか
訟卦の第四爻には「不克訟、復即命、渝、安貞吉」とある。訴訟に勝てないなら、立ち返って本分を守り当初の考えを改め、正道を守れば吉となる。本稿では「強勢な側がなぜ敗訴するのか」という視点から九四の意思決定ロジックを解き明かす。実力があっても勝てるとは限らず、理が通っていても訴訟を起こせるとは限らないのだ。
生活の中に、とても不思議な現象がある。
二人がもめたとき、明らかに力が強くて、理があって、資源も多いほうが、最後には勝てないことがある。
大企業が個人経営の小さな店を権利侵害で訴えたら、当然勝てるはずの裁判が3年も引き延ばされ、最後には和解になって、大企業は何も得られなかった上に、弁護士費用をたくさん払った。
二人の共同経営者が仲違いして、お金を多く出したほうが自分に理があると思って相手を訴えた。結果、裁判は1年続き、会社もつぶれて、双方とも傷ついた。
夫婦の離婚だってそうだ——明らかに一方が先に浮気して、もう一方は証拠を持っているから、財産分与で有利になるはずだろう?結果はどうか?相手が法廷で逆切れして、「お前はとっくに財産を移転していた」「モラハラだ」「お前だって潔くない」と言い出す。水掛け論の末に、どちらも得をしなかった。
どうしてこうなるのだろう?
『易経』の訟卦の第四爻が、まさにこのことを説いている。それは:**「不克訟、復即命、渝、安貞吉(ふこくしょう、ふくすなわちめい、ゆ、あんていきち)」** というものだ。
九四がなぜ「不克訟」なのか
「不克訟」とは、裁判に勝てないという意味だ。
だが不思議なことに——九四は陽爻が陰位にあり、上卦の一番下に位置して九五のすぐ隣にいる。当然、権力の中心に近く、バックボーンもあって実力もあるはずなのに、どうして勝てないのだろう?
これが訟卦のすごいところだ。こんな真実を教えてくれる:**裁判というものは、強いほうが勝つわけでも、理があるほうが勝つわけでもない。**
九四が勝てないのには、いくつか理由がある。
一つ目の理由は、「位が当たらない」からだ。陽爻が陰位にあるのは、名実が伴っていない状態だ。実力もバックボーンもあるけれど、そもそも事の根っこがあまり筋が通っていない。理はあってもやり方が間違っている、あるいは理はあっても自分から先に事を荒立てた、ということかもしれない。
生活の中でもそうだと思わないか。顧客が代金を払ってくれないから取り立てに行く、本来なら自分に理があるだろう?だがカッとなって相手を殴ったり、相手の会社を壊したりしたら、話の性質が変わってしまう。本来は原告なのに、下手したら被告になってしまう。
九四の苦境はまさにここにある——**理はあるけれど、姿勢が間違っている。姿勢が間違えば、理があってもないのと同じになる。**
二つ目の理由は、相手が九二のような小人物ではなく、初六や六三のような「叩いても痛くない相手」だからだ。どういうことか?相手は「裸の王様」で、こちらが付き合っていたら、こちらが持たない。
こちらは大企業で、法務チームもあるし、金も力もある。だが相手はどうか?時間だけはたっぷりあって、3年だろうが5年だろうが付き合える。こちらは解決しない一日があれば、一日中気が晴れないし、評判にも響くし、業務にも影響する。相手は「どうにでもなれ」と開き直っているから、どうでもいい。
だから九四が「不克訟」なのは、本当に勝てないからではなく、**勝つ代償が大きすぎて、負けたのと変わらなくなるからだ。**
復即命——あるべき位置に戻る
ではどうすればいいか?爻辞には「復即命」とある。
「復」は戻る、退くという意味だ。「即命」とは何か?本来の自分の位置に戻り、自分がやるべきことに戻るということだ。
平たく言えば——もうやめにして、帰ろう、本来の自分のことをやろう、ということだ。
この言葉は簡単に聞こえるが、実行するのはとても難しい。特に九四のように実力もあって気性も強い人にとってはなおさらだ。
「なんで私が退かなきゃいけないの?私には理があるのに。退いたら、周りからどう思われる?今後は誰にでもバカにされるようになるんじゃない?」
こういう気持ちは普通だけれど、それが命取りにもなる。
九四の問題は——**「面子」や「勝ち負け」を重視しすぎて、本来自分が何をしたかったのかを忘れてしまうことだ。**
本来は商売をするつもりだったのに、一人の顧客と2年も裁判を続けて、商売はおろそかになるし、チームはバラバラになるし、お金もたくさん使って、最後に勝ったとしても、損をしている。
本来は普通に暮らすつもりだったのに、元妻と3年も離婚裁判を続けて、子供は影響を受けるし、老人はショックを受けるし、自分も何歳も老けてしまう。最後に財産を少し多く分けてもらえたとして、この数年の幸せな時間は、取り戻せるだろうか?
「復即命」という三字は、こんなふうに私たちに目を覚まさせてくれる——**あなたの「命(本来の役割)」は何か?あなたは本来何をする人だっけ?** もめごとのせいで、本当にやるべきことをおろそかにしてはいけない。
戻ろう、本来の自分の位置に戻って、本来やるべきことをやろう。それが本来の姿だ。
渝——考えを変えるのは恥ずかしいことじゃない
「渝」とはどういう意味か?変わる、変えるということだ。
最初は相手と徹底的にやり抜くと決めていたのに、考えを変えて、裁判はやめにして、和解して、もういいやと思うことだ。
多くの人は「渝」を弱さだとか、負けを認めることだとか、自分の顔に泥を塗ることだと思っている。「あんなに強気なことを言ったのに、やめるなんて言ったら、どれだけ面子がつぶれるだろう」と。
だが訟卦はこう教えてくれる——**考えを変えられる人こそ、賢い人だ。一つの道を突き進むのは、愚かなことだ。**
以前、特許のことでライバル社とこじれた起業家と知り合ったことがある。双方とも「相手が倒産するまで裁判する」と強気なことを言っていた。
結果はどうか?半年裁判を続けて、双方とも大金をつぎ込んだ。そのときこの起業家はふと考えた——これ以上続けたら、勝ったとしても自分はボロボロになる、と。
彼は自ら相手に和解を持ちかけた。「特許の件はお互いに譲歩しよう。君は君の分、私は私の分を使って、内輪でもめているのはやめにして、一緒に市場を大きくしないか?」と。
相手も困っていたところだったので、その言葉を聞いてすぐに承諾した。その後、両社は裁判をやめただけでなく、パートナーになって、一緒に市場シェアを30%から70%まで伸ばした。
ほら、もし彼が「不克訟」のまま強引に裁判を続けていたら、こんな結果にはならなかっただろう?
「渝」という字は、負けを認めるように見えて、実は**「方向転換」**なのだ。道が行き詰まったら、曲がれば別の世界が広がっているかもしれない。やり抜くことは勇気じゃない、執着だ。方向転換できるのが、本当の賢さだ。
安貞吉——本分を守れば吉祥である
最後の三字:「安貞吉。」
穏やかに、正道を守っていれば、吉祥である。
九四が最後に吉祥になれたのは、裁判に勝ったからではなく、裁判から身を引いて、自分の正道に戻ったからだ。
裁判というものは、落とし穴に落ちるようなものだ。穴の中にいる時間が長ければ長いほど、体につく泥は多くなる。早く這い上がれば、早くきれいになれる。
九四は這い上がって、元の生活に戻り、商売をしっかりやり、自分のことに集中した。表面的には、裁判に「負けた」ように見えるかもしれない。だが実際には、自分の時間と、精力と、気持ちを取り戻したのだ。
それこそが本当の「吉」なのだ。
訟卦九四の三つの意思決定のヒント
ここまで話してきて、九四の爻は私たちにどんなヒントを与えてくれるだろう?
一つ目、**「理があるから絶対勝てる」と思うな。** 裁判だろうがもめごとだろうが、結果は理があるかどうかだけで決まるわけじゃない。姿勢が正しいか、タイミングが合っているか、代償が大きすぎないか、も関係してくる。多くの場合、「理は勝っても人生は負ける」のが一番損なのだ。
二つ目、**勝てそうになかったら退け、恥ずかしいことじゃない。** 様子がおかしいと思ったり、代償が大きすぎると思ったりしたら、すぐに手を引け。面子のために無理をしたり、意地のために自分を追い詰めたりするな。進むことも退くこともできるのが、本当の実力だ。
三つ目、**やるべきことに戻れ。** もめごとは挿話であって、主旋律じゃない。自分の本業、自分の生活、自分の家族、それこそが本当の自分の「命」だ。もめごとのせいで、自分の人生そのものを変えてしまうな。
訟卦は初爻から四爻まで、核心はたった一言——**できるなら争わないに越したことはない。**
初六は「小さなことを大きくするな」と言い、九二は「勝てそうになかったら逃げろ」と言い、六三は「争えないなら守れ」と言う。では九四はどうか?たとえ勝てるとしても、もう争うのはやめて、元の生活に戻ってしっかり暮らせ、ということだ。
なぜなら古人はとっくに見抜いていたからだ——**「訟(争い)」というものに、本当の勝者はいない。先に手を引いたほうが、先に解放される。**