地雷復の上六:反騰失敗で再び下落したら?「迷復、凶」——同じ失敗を二度するな
地雷復の上爻である上六は、復卦最終の爻にして最も凶の爻です。爻辞には「迷復、凶」と記されており、道に迷って戻れず、凶であることを意味します。反発のチャンスがあったのになぜ失敗するのか。本稿では反発失敗の教訓から、上六の警示と落とし穴回避の知恵を読み解きます。
復卦は一途に上へと進んでいく。初九の「不遠復(ふえんふく)」から、六二の「休復(きゅうふく)」、六三の「頻復(ひんぷく)」、六四の「中行独復(ちゅうこうどくふく)」、六五の「敦復(とんぷく)」へと——
もう少しで抜け出せると思った矢先、最上位の爻である上六にたどり着くと、爻辞にはこうあった:「迷復(めいふく)、凶(きょう)」。
道に迷って、戻れなくなってしまう。凶。
どういうことだろう?
最後まで来たのに、どうして逆に凶なのだろう?
それは、反発して立ち直る道は、上に行けば行くほど楽になるわけではないからだ。
上に行くほど誘惑は増え、罠も増え、道に迷いやすくなる。
谷底で摔けて死ぬ人は少ない。反発して上がっていく途中で、歩いているうちに道に迷い、また落ちてしまう人の方が多い。
しかも落ちる時は、最初の摔け方よりもひどい目に遭う。
これが「迷復、凶」ということだ。
「迷復」とは何か
迷とは、道に迷う、見失う、方向が分からなくなること。
復とは、戻る、回帰すること。
迷復——つまり、戻りたいのに戻る道が見つからない、あるいは歩いているうちに道を踏み外し、見失ってしまうことだ。
なぜ「迷」ってしまうのだろう?
考えてみてほしい。谷底にいる時は、目標がすごく明確だ——「這い上がりたい」と。
道は険しくても、方向ははっきりしている。ただ一つ、「上へ」という方向だ。
だが歩いているうちに、中腹までたどり着く。
こっちに分かれ道があって、なんだか近そうに見える。
あっちには景勝地があって、なんだか面白そうに見える。
前から誰かが「こっちだよ、こっちの方が早いよ」と言ってくる。
そうするとためらい始める——
どの道を行けばいいんだろう?
遠回りしてるのかな?
あの近道を試してみようか?
ためらっているうちに、方向が分からなくなる。
方向が分からなくなると、道を踏み外しやすくなる。踏み外せば道に迷う。道に迷えば、戻れなくなる。
これが上六の「迷復」だ。
戻りたくないわけじゃない。戻る途中で見失ってしまうだけだ。
良くなりたくないわけじゃない。良くなる途中で誘惑に引きずられて道を踏み外すだけだ。
これって悔しくないだろうか?
やっとの思いで谷底から這い上がって、もう少しで頂上だというのに、道に迷ってまた落ちてしまうなんて。
しかもある程度の高さまで登っているから、落ちた時の衝撃はもっと大きい。
だから爻辞は「凶」と言っている。
本当に、凶なのだ。
反発の道で最も道に迷いやすい3つの罠
具体的に言うと、反発して立ち直る道には3つの罠があって、人を道に迷わせやすい。
1つ目の罠は、貪欲さだ。
谷底にいる時は、要求がすごく低い——お腹いっぱい食べられればいい、生きていければいい、と。
だが歩いていくうちに、要求がどんどん高くなっていく。
1万円稼げば2万円稼ぎたくなり、2万円稼げば10万円稼ぎたくなる。
1DKに住めば2LDKに住み替えたくなり、2LDKになれば大きな平屋に住みたくなる。
仕事が1つあれば副業を始めたくなり、副業が軌道に乗れば起業したくなる。
欲望というものには、底がない。
上に行けば行くほど見えるものが増え、欲しいものも増える。
欲しいものが増えれば、心が乱れる。
心が乱れれば、道が歪む。
もっと稼ぐために、自分の知らない分野に手を出す。もっと早く成功するために、近道を探す。もっとチャンスを得るために、あちこちに手を出す。
結果はどうなるか?
多くを求めすぎて、何も身につかない。
何もかもやろうとして、何もうまくいかない。
最後には、水泡に帰すどころか、それまでコツコツ貯めたわずかな蓄えまで失ってしまう。
2つ目の罠は、傲慢さだ。
傲慢とは何か? 立ち直った後に、人を見下すようになることだ。
自分がすごく優れていると思い込み、他の人はみんなダメだと思い、以前助けてくれた人たちも自分についてこられないと思い込む。
そうなるとどうなるか?
人の言葉を聞き入れなくなる。
誰かが助言してくれても、「自分の方が詳しい」と思う。
「先に罠があるよ」と言われても、「妬んでるんだ」と思う。
「それは間違ってるよ」と言われても、「自分の成長を邪魔してるんだ」と思う。
忠告を聞き入れられない人は、不幸が近づいている。
なぜだろう?
どんなに優れた人でも、見えていないところはあるからだ。
人の一言で、大きな罠を避けられることもある。
聞き入れなければ、自分で踏まなければならなくなる。
踏んでしまった時の代償は、どれほど大きいだろう?
何年もかけてやっとの思いで立ち直ったのに、一歩踏み外しただけで全部なくなってしまうこともある。
昔から「満は損を招き、謙は益を得る」と言われている。
これは慰めの言葉じゃない。本当の話だ。
3つ目の罠は、怠けだ。
これはもっと分かりにくい。
どういう怠けか? 体の怠けじゃない、思考の怠けだ。
歩いているうちに「もうこのくらいでいいや、これ以上頑張らなくてもいいや」と思うようになる。
そうして気が緩んでいく。
勉強しなくなり、運動しなくなり、反省もしなくなる。
毎日ぼんやりと、その日暮らしをする。
「大した間違いじゃないじゃん」と思うかもしれない。
確かに大きな過ちではない。だが、ゆっくりと下に滑り落ちていくだけだ。
今日少し滑り、明日少し滑る。自分では気づかないうちに。
気づいた時には、もうずいぶん下まで滑り落ちている。
悪くなるのは簡単でも、良くなるのは難しい。下に滑るのは簡単でも、上に登るのは難しい。
上に登るには、何ヶ月、何年もかかる。
下に滑るのは、数週間、数ヶ月で元通りになってしまう。
「茹でガエル」現象が、一番怖い。
「迷復」を避けるには
では、反発して立ち直る道で道に迷わず、また落ちてしまうのを避けるにはどうしたらいいだろう?
3つの方法がある。
1つ目の方法は、自分がどこから来たのかを常に忘れないこと。
人は、恩を忘れがちだ。
良くなると、以前の自分がどうだったかを忘れてしまう。
谷底で味わった苦しみも、手を差し伸べてくれた人も、摔けた失敗も忘れてしまう。
それらを忘れると、調子に乗りやすくなり、無茶をしやすくなり、自分で自分をダメにしやすくなる。
どうすればいいか?
時々、振り返ってみること。
本当に谷底に戻れと言っているんじゃない。たまには思い出してほしい——
以前の自分はどうだったか? 一番辛かった時はどうだったか? どうやって乗り越えてきたか?
一度思い出せば、頭が冷える。
こう思えるようになる——
今自分が持っているものは、空から降ってきたんじゃない。自分が汗水たらして稼いだものだ。
大切にしなければ、あっという間に失ってしまう。
ウェン老師はよくこう言う:「人は高い所にいる時、低い所をよく見なさい。懐古するためじゃない。摔けないためだ」。
本当にその通りだ。
自分がどこから来たのかを知ってこそ、どこへ行くべきかが分かる。
恩を忘れない人こそ、長く歩いていける。
2つ目の方法は、自分にいくつかの「絶対ルール」を決めること。
絶対ルールとは何か? どんなことがあっても、絶対に踏み越えてはいけない一線のことだ。
例えば——自分の分からない投資には絶対手を出さない。
例えば——出どころの怪しい金は絶対に稼がない。
例えば——人柄の悪い人とは絶対に組まない。
例えば——毎日必ず30分は本を読み、30分は運動する。
こうしたルールは、簡単に聞こえるが、いざという時にあなたを救ってくれる。
なぜだろう?
人は誘惑の前では、意志力が当てにならないからだ。
「自分は耐えられる」と思っていても、いざ誘惑が目の前に来ると、耐えられないこともある。
意志力に頼るより、ルールに頼った方がいい。
ルールがそこにあれば、ダメなものはダメなんだ。
考える必要も、悩む必要も、自分を試す必要もない。
そのまま回り道すればいい。
その方が、一番安全だ。
3つ目の方法は、「見張ってくれる人」を見つけること。
どういう意味か?
自分が信頼できる人を一人見つけて、自分が調子に乗っている時、焦っている時、道を踏み外している時に、注意してくれるようにすることだ。
その人は、家族でも、友人でも、先生でも、パートナーでもいい。
誰でもいい。ただ一つの条件だけ——あなたに本当のことを言ってくれる人であること。
あなたが間違っている時に、怒られるのを恐れず、はっきり指摘してくれる人。
そんな人がそばにいれば、道に迷いにくくなる。
なぜだろう?
「当局者は迷い、傍観者は清し」だからだ。
自分が渦中にいると、はっきり見えないこともある。
横で見てくれている人がいれば、道を踏み外した時にちょっと突いてくれて、すぐに軌道修正できる。
「誰かに監視されるのは嫌だ」と思わないでほしい。
誰にも注意されずに大きな失敗をした時に、「注意してくれる人がいてよかった」と思う日が来る。
最後に
復卦の上六にある「迷復、凶」は、警告の言葉だ。
もう少しで抜け出せるという時に、冷水を浴びせてくれる——
喜ぶのはまだ早い、と。
反発して立ち直る道の終点は、頂点に戻ったら終わりというものじゃない。
まだ道の途中にいる限り、道に迷う可能性はある。
貪欲、傲慢、怠け——この3つの罠は、いつでもあなたを待っている。
ちょっと気を抜いただけで、落ちてしまう。
しかも落ちた時は、最初の摔け方よりも痛い。
だから、急ぎすぎないでほしい。
時々立ち止まって、方向は合っているか、足元は安定しているか、心は歪んでいないか、確かめてほしい。
方向が合っていれば、また歩き出せばいい。
方向が間違っていれば、すぐに修正すればいい。
道に迷ってから探し始めても、その時にはもう遅い。
反発して立ち直る道は、一度やったら終わりというものじゃない。
一生かけて続ける、修行のようなものだ。
しっかり足元を見て、道に迷わないように。
それこそが、本当の「復」なのだ。