天水訟の六三:会社で生き残るに実力だけで十分?
訟卦の三爻には「食旧徳、貞厲、終吉。或従王事、無成」とある。職場で過去の功績に頼り、本分を守れば危険は伴うものの最終的には無事だ。他人の下で働く際は功を争わず、事が成し遂げられても自分の手柄にしないこと。本稿では職場での生き残りと上下関係の観点から、六三の知恵を読み解く。
会社にはいつもこういうタイプの人がいる。
古株の社員で、キャリアも長く、功績もある。会社が立ち上がった当初からいて、社長と一緒に苦労を共にしてきたから、どんな大波乱も見てきた。
だが時代は変わり、業務も変わって、彼のやり方が通用しなくなってきた。新しく入ってきた若者は勢いがあってアイデアも新しく、彼はかえって「足を引っ張る存在」になってしまった。
社長の方は旧情に思いを馳せて、なかなか手をつけられないでいる。だが言葉の端々に、すでに牽制のニュアンスが滲んでいる。
こういう人が一番気まずい。上に行こうにも能力が追いつかないし、下に落ちるのは面目が立たない。辞めるわけにもいかないし、残るわけにもいかない。
『易経』訟卦の三爻は、まさにこの处境について説いている。その言葉は:**「食旧徳、貞厲、終吉。或は王事に従い、成ること無し。」**
食旧徳(しょくきゅうとく)、つまり過去の功績にあぐらをかくこと
「食旧徳」とはどういう意味だろう?
簡単に言えば、昔の功績、昔の積み重ね、昔の情分に頼って生きていくことだ。
六三の位置は非常に微妙だ——陰爻でありながら陽の位にあって、位置が正しくない。下には九二(能力のある人)がいて、上には九四(さらにバックボーンのある人)がいる。間に挟まれて、実力も足りなければ地位も不安定だ。
彼が頼れるものは何か?「旧徳」——過去の功績、過去の情分、過去に築いた人脈——しかない。
これって、職場の古株社員とそっくりじゃないだろうか?昔社長と一緒に起業したとき、確かに力を尽くして汗を流した。だが今は会社が大きくなって、あなたの能力が追いつかなくなった。頼れるのは、当時の情分だけになってしまった。
ウェン老師はよくこう言う:**人の情分は消耗品だ。使えば使うほど減っていく。**
昔の話ばかり持ち出していると、最初のうちは社長もあなたの功労をありがたく思う。二度目になると、社長は少しうんざりし始める。三度目になれば、社長の心の中では「この人、昔のこと以外に何ができるんだ?」と疑問が浮かぶようになる。
だから六三の次には「貞厲」の二文字が続く。本分を守っていても、危険が伴うのだ。
なぜ危険なのか?昔の功績にあぐらをかいているだけでは、その地位に居座り続けることはできないからだ。下の人間はあなたを狙っているし、上の人間はあなたを観察している。「旧徳」しかなくて「新しい功績」がなければ、遅かれ早かれ入れ替えられてしまう。
貞厲だが終吉——底线を守れば大丈夫
「貞厲、終吉」という言葉はとても興味深い。
訳すと:正道を守り通せば危険は伴うものの、最終的には吉祥となる、という意味だ。
危険があるのに、なぜ最終的に吉なのだろう?
六三は陰爻であり、陰柔で争わず、本分を守るからだ。昔の功績にあぐらをかいてはいるが、人を害したり、余計なことをして波風を立てたり、根も葉もない噂を流したりはしない。静かに自分の位置にいて、自分にできる範囲の仕事をこなしている。
それで十分なのだ。
職場で多くの古株社員が最後に問題を起こすのは、能力がなくなったからではなく、心が崩れてしまうからだ。
自分はキャリアが長いんだから特権を持って当然だと思い込み、若者が勢いをつけて上がってくると自分への脅威だと感じる。そして派閥を作り始め、新人を抑えつけ始め、あちこちで昔の武勇伝を語り始める。
結果はどうなるか?元々社長は旧情を思って体面のある退き方をさせてあげようと思っていたのに、自分で騒ぎ立てたせいで、最後に残っていた情分までなくしてしまう。
六三の知恵はこうだ——**自分がもう通用しなくなったのはわかっている、だけど余計なことはしない。自分の老舗(過去の功績)にあぐらをかき、自分の本分を守る。飯を食わせてくれるなら感謝するし、いつか不要になったら体面を持って去ることもできる。**
こういう人なら、たとえ能力が追いつかなくなっても、社長もそうひどい目には合わせない。時局をわきまえ、進退をわきまえ、トラブルを起こさないからだ。
「終吉」とは、ずっとその地位に居座れるという意味ではない。無事に身を引けて、ひどい目に遭わずに済むという意味だ。
或は王事に従い、成ること無し——一緒に仕事をするなら、功績を横取りするな
後半の句はさらに重要だ:「或は王事に従い、成ること無し。」
意味は、目上の人と一緒に仕事をするなら、功績を自分のものにしてはいけない、ということだ。事が成し遂げられたら、それは目上の人の功績であって、自分の功績ではない。
この言葉は現実的すぎるくらいだが、本当にその通りだ。
六三の位置には、上に九四、九五がいて、どちらも自分より地位が高く権力も大きい。彼らの下で仕事をするなら、仕事は自分がやっても、功績は自分のものにはできない。
このルールをわかっていないと、プロジェクトが成功したときに「これは主に俺が推し進めたんだ」とあちこちで言いふらすことになる。そうなったら、破滅は近い。
私の知り合いに、ある会社で10年間課長クラスを務めている人がいる。能力は普通だが、長所が一つある——功績を横取りしないことだ。上司が指示したことをその通りにやり、うまくいけば全部「上司のご指導のおかげです」と言うし、失敗したら自分から責任を取る。
普通ならこういう人は大したことないと思うだろう?だが彼はその地位に10年間居座り続け、何人もの上司が去っていく中で彼だけが残った。なぜか?どの上司も「この人は使いやすいし、手間がかからないし、余計なトラブルも起こさない」と思ったからだ。
彼はまさに典型的な「食旧徳、無成」の人だ。目立つような大功績はないが、大きな失敗をしたことも一度もない。組織の中では、この「安定感」自体が一種の価値なのだ。
もちろんウェン老師はこう補足する:もしあなたがまだ若くて、まだ勢いがあるなら、六三を真似してはいけない。六三は「もうここまで来てしまった」人のための生存戦略であって、上に向かって成長するための発展戦略ではない。
若者が学ぶべきなのは初九や九二で、上に向かって突き進み、基礎を固めることだ。六三は、もう突き進む力はないけれど、今の地位を守りたいと思っている人のためのものだ。
訟卦六三からの三つの提醒
ここまで話してきて、六三の爻は私たちに一体何を提醒してくれているのだろう?
第一に、**過去の功績にあぐらをかいてもいいが、底を尽きるまで使い果たすな。** 過去の功績はあなたのクッションであって、永久の食券ではない。老舗にあぐらをかきながらも、何か新しい貢献ができないか考えてみよう。少しだけでも、態度としては十分だ。
第二に、**地位が不安定なときは、余計なことをするな。** 実力がなければないほど、低姿勢でいるべきだ。あちこちで存在感をアピールしたり、昔の武勇伝を語ったり、新人と張り合ったりしてはいけない。静かにしていれば、相手もあなたをどうこうしようとは思わないかもしれない。跳ね回れば跳ね回るほど、標的が大きくなる。
第三に、**自分より優れた人の下で働くなら、功績を横取りするな。** 功績というものは、奪って得られるものではない。自分のものであるべきものは、誰かが覚えていてくれる。自分のものでないものを奪えば、かえって災いを招く。仕事をしっかりやって、功績は譲る。そうすれば、道はかえって広がっていく。
訟卦の三爻まで読み進めると、紛争にはさまざまな段階があることがわかる。初六は小さなことを大きくするな、九二は勝てないなら逃げろ、そして六三は?**争う力がなくなったらどうするか——本分を守り、争わないことが争いに勝ることだ。**
人生は時にこういうものだ。すべての戦いに勝つ必要はないし、すべての地位を占める必要もない。時には、無事に身を引けて、体面を持って去れるだけで、もう勝ちなのだ。
六三の言う「終吉」も同じだ——何かに勝ったのではなく、ひどい負け方をしなかっただけだ。そして気まずい地位にいる多くの人にとって、「ひどい負け方をしなかった」ことが、最高の結果なのだ。