復卦初九:低谷の一歩の歩き方は?「不遠復、無祇悔」——立ち返るほど早く、代償は小さい
地雷復の初九は、卦全体の起点であり、陽気が戻り始めた瞬間でもある。爻辞には「不遠復、無祇悔」(遠くまで行かずに立ち返れば、悔やむことはない)と記されている。本稿は過ちを改める視点と歩み始める視点から、地雷復初九の「すぐに立ち返る知恵」を読み解く。
人の一生で、遠回りをしたことがない人なんているだろうか?
失敗をしたり、方向を間違えたり、向いてない仕事に就いたり、愛する人を間違えたりしたことがない人なんているだろうか?
違いはどこにあるのだろう?
それは——どれだけ進んでから立ち止まって引き返すか、だ。
「おかしい」と気づいたらすぐに軌道修正する人は、損失も少なく、すぐに正しい道に戻れる。
間違っているとわかっていても意地を張って進み続け、遠くまで行ってから引き返す人は、代償が大きくなる。
地雷復の初九が、まさにこのことを語っている。
爻辞にはこうある:「不远复,无祇悔,元吉。」
(遠くまで行かないうちに引き返せば、大きな悔いはなく、大吉である)
これは復卦の最初の爻であり、立て直しの第一歩でもある。
「不远复」とはどういうことか
「復」とは、戻ること、引き返すこと、回帰することだ。
「不远复」——遠くまで行かないうちに、戻ってくること。
聞くと簡単だが、実際にやるのは難しい。
なぜ難しいのか?
人は誰しも、自分が間違っていたと認めたくないからだ。
特に歩き始めた頃は「自分が選んだ道だ、跪いてでも歩き通す」と自分に言い聞かせるものだ。
しばらく歩いて「おかしい」と気づいても、心の中では不安になりつつ、口には出さない。
「もう少し行ってみよう、先で状況が良くなるかもしれない」と思う。
さらに進むと、ますますおかしくなる。慌て始めるけれど、「ここまで来たのに今さら引き返したら、今までの努力が無駄になる」と諦めがつかない。
そしてまた歩き続ける。
進めば進むほど引き返すのが惜しくなり、引き返せなくなるほど間違いが大きくなる。
最後には、もう戻れなくなってしまう。
これが多くの人の人生のシナリオだ。
最初は小さな間違いだったのに、引き返そうとしなかったせいで、最後には大きな過ちになる。
最初は少し道が逸れただけだったのに、意地を張ったせいで、最後には完全に行き止まりになる。
だから初九は「不远复」と言うのだ——
遠くまで行かないうちに戻るのが、一番賢いやり方だ。
早く引き返せば返すほど、代償は小さくて済む。
なぜ「无祇悔」なのか
「祇」は、おおよそ「大きな」という意味だ。
「无祇悔」——大きな悔いがない、ということ。
なぜ大きな悔いがないのか? 遠くまで行っていないから損失も少なく、引き返すのに間に合うからだ。
仕事を選び間違えても、2ヶ月で「おかしい」と気づいて辞めれば、失うのは2ヶ月の時間だけ。大したことはないし、一生の悔いにはならない。
恋人を選び間違えても、半年で「合わない」とわかって別れれば、失うのは半年の情熱だけ。しばらく悲しんでも過ぎ去れば済むし、一生悔やむほどではない。
でも、10年働いてから仕事が合わないと気づいたり、結婚して子供ができてから相手が違うとわかったりしたらどうだろう?
その損失は計り知れない。
青春も、チャンスも、選ぶ権利も、失ってしまう。
そうなってから「あの時こうしておけば……」と言ったところで、何の意味があるだろう?
だからウェン老師はよくこう言う:
「小さな過ちは怖くない。怖いのは、改めようとしないことだ。小さな過ちを放っておいて大きな過ちにしてしまったら、後悔してももう遅い」
本当にその通りだ。
過ちを犯さない人なんていない。
過ちを犯すこと自体は問題ではない。問題は、すぐに引き返そうとするかどうかだ。
引き返そうとする人は、過ちもプラスに変えられる——「転んでもただでは起きない」学びがあるから、次は同じ過ちを犯さなくなる。
引き返そうとしない人は、小さな過ちでも大きな災いになる——一歩間違えればどんどん悪い方向に進み、最後にはすべてを失う。
どんな人が「遠くまで行ってから引き返す」ことになりやすいか
「遠くまで行ってから引き返す」とはどういうことか? 遠くまで進んでからやっと引き返す、あるいはもう引き返せなくなることだ。
この傾向が特に強いのは、3種類の人だ。
1つ目は、面子を気にする人。
こういう人は、他人に「間違っている」と言われるのが何より嫌いだ。
自分が選んだ道が間違っているとわかっていても、面子のために意地を張って歩き続ける。
周りから「調子はどう?」と聞かれても、「大丈夫だよ」と答える。
心の中では苦しくてたまらないのに、強がって見せる。
最後には耐えられなくなって、面子も失えば、中身もズタズタになる。
そんなことをする必要があるだろうか?
間違いを認めるのは恥ずかしいことじゃない。
間違っているのに意地を張るほうが、よっぽど恥ずかしい。
2つ目は、未練がある人。
こういう人は「これだけ投入したのに」という思いが強い。
時間、お金、感情、労力……投入すればするほど、手放すのが惜しくなる。
経済学では「埋没費用」と呼ばれるものだ。
すでに投入して回収できないものは、今後の意思決定に影響させるべきではない。
でも人は、なかなかそう割り切れない。
「今までの投入を無駄にしたくない」という思いから、さらに多くを注ぎ込んでしまう。
結果、ますます深みにはまっていく。
考えてみてほしい——
すでに10万円損しているとき、すぐに損切りするか、それとも100万円追加して取り返そうとするか?
すでに3年費やしているとき、すぐに離れるか、それとも不確かな好転を待ってさらに3年費やすか?
答えは明らかなのに、多くの人が実行できない。
3つ目は、根拠のない楽観を抱く人。
こういう人は「もう少し待てば良くなる」と思いがちだ。
もう少し待てば、状況が好転するかもしれない。
もう少し待てば、彼が変わってくれるかもしれない。
もう少し待てば、市場が良くなるかもしれない。
待っても待っても、訪れるのは好転ではなく、さらに悪い状況だ。
根拠のない楽観は、人生最大の罠だ。
チャンスを待っているつもりが、実は自分が完全に崩れ落ちるのを待っているだけなのだ。
どうすれば「不远复」を実践できるか
ここまで話してきたけれど、じゃあどうすれば「不远复」を実践できるのだろう?
方法は3つある。
1つ目は、定期的に「振り返り」をすること。
行き止まりにぶつかってから引き返そうとしてはいけない。
一定期間ごとに立ち止まって、考えてみよう:
今歩いているこの道は、正しいだろうか?
今やっているこの仕事は、自分が本当にやりたいことだろうか?
今の自分の状態は、良くなっているだろうか、それとも悪くなっているだろうか?
大きな節目を待つ必要はない——月に1回でも、四半期に1回でも、構わない。
車の運転と同じで、壁にぶつかってからハンドルを切るのでは遅い。
時々方向を確認して、逸れていたら少しずつ修正すればいい。
少しずつ修正していけば、大きな遠回りをすることは決してない。
2つ目は、人の言葉に耳を傾けること。
昔から「当局者迷わず、傍観者清し」と言うように、
自分が渦中にいると、見えないことがある。でも周りの人は、あなたよりはっきり見えていることがある。
だから強がらずに、「間違ってるよ」と言われたら、すぐに反論しないでほしい。
まずは「この人の言うことに、道理はあるだろうか?」と考えてみよう。
もちろん、誰の言葉も鵜呑みにすればいいというわけではない。
でも、本当にあなたのことを思ってくれている人、あなたより経験豊富な人の言葉は、心に留めるべきだ。
多くの人が、当時親や友人の一言を聞いていれば、あんなに遠くまで遠回りしなくて済んだはずだ。
3つ目は、「準備ができてから」引き返そうとしないこと。
多くの人は「引き返したいけど、今さら遅い」「今引き返したら損だ」と思っている。
「もう少しお金を貯めてから」「もう少し勉強してから」「このプロジェクトが終わってから」……
そう待っているうちに、どんどん遠くまで行ってしまう。
この言葉を覚えておいてほしい:
木を植えるのに一番良い時期は10年前だった。次に良いのは今だ。
引き返すのも同じだ。
一番良いタイミングは「おかしい」と気づいた瞬間だった。次に良いのは今だ。
今引き返せば、決して遅くはない。
今日引き返せば、一日分の遠回りで済む。
明日引き返せば、一日分余計に遠回りすることになる。
待つのはやめよう。
最後に
地雷復の初九の「不远复」は、本当に実直な言葉だ。
難しい大道理を並べているのではなく、ただ一つのことを語っている——
間違ったら引き返せばいい。早ければ早いほどいい。
面子を気にせず、未練を残さず、根拠のない楽観も捨てて。
遠くまで行かないうちに戻れば、大きな悔いもなく、大吉大利だ。
人生という道は長い。誰にでも道を逸れるときはある。
道を逸れるのは怖くない。怖いのは、戻ろうとしないことだ。
すぐに引き返せる人こそ、長い道を歩き続けられる。
なぜなら彼らは知っているから——
方向は、正しいか間違っているかよりも大事だ。引き返すのは、意地を張るよりも勇気のいることだ、と。