無妄卦六二:何もしてないのに儲かった?「不耕獲、未畬則利有攸往」——功利心を持たないほうが結果が良くなる理由
無妄卦の六二には「不耕獲,未畬則利有攸往」(耕さずに収穫を望み、畑を開かずに熟した田を求めるなら、むしろ進むに利あり)とある。これは結果を急がず、功利心を持たずに行動すれば、かえって遠くまで行けるという知恵だ。本稿ではプロセス重視と長期主義の視点から、その智恵を解きほぐす。
無妄卦の初九は、スタートを着実に切ることを説いています。
では六二はどうでしょう?もっと面白いですよ。
爻辞にはこうあります:「不耕獲,未畬則利有攸往」
この言葉は少し回りくどいので、私が解きほぐして説明しますね。
「耕」とは、田んぼを耕して作物を育てること。
「獲」とは、穀物を収穫すること。
「畬(ゆ)」とは、3年間耕して慣らした熟した田んぼのこと。
「未畬」とは、まだ開墾されていない荒地のことです。
「不耕獲」——耕しもしないのに、収穫を望む。
「未畬則利有攸往」——土地はまだ開墾も終わっていないのに、利益が見込めるから先に進もうとする。
あなたはこう思うかもしれません:「それってただの夢物語じゃない?」
畑も耕さないのに、どうやって収穫が得られるの?
土地も整えていないのに、豊作なんて語れるの?
慌てないでください。易経(えきけい)の言葉は、字面だけで読んではいけません。
「不耕獲,未畬」とは、何もしないという意味ではなく、
「絶対にすぐに収穫を得なければならない」という気持ちで物事に取り組まない、ということです。
どういうことでしょう?
つまり——あなたは畑を耕しに行くけれど、
「耕したからには必ず収穫が得られるはずだ」なんて、いつも考えないこと。
荒地を開墾しに行くけれど、
「この土地がすぐに良田になるはずだ」なんて、いつも考えないこと。
ただひたすら丁寧に耕し、丁寧に開墾していれば、
結果は自然についてくる。
それが「不耕獲」ということなのです。
耕さないのではなく、「獲(収穫)」のために耕すのではない、ということです。
なぜ「不耕獲」のほうが「利有攸往(進むに有利)」なのか?
この言葉は、ちょっと直感に反するように聞こえます。
人はみな、結果のために物事をするんじゃないの?
収穫のためじゃなかったら、なんのために畑を耕すの?
実はそうでもないんです。
結果を急ぎすぎると、かえって良い結果が得られなくなります。
なぜでしょう?3つの理由があります。
1つ目の理由:功利心が強すぎると、動きが歪んでしまうこと。
こんな経験はありませんか?
普段のテストは良い点数を取れるのに、大事な場面に限って実力を発揮できなくなる。
なぜでしょう?「絶対に良い点を取りたい」と思いすぎるからです。
結果を欲しがりすぎると、かえって緊張して手が震え、頭が真っ白になってしまう。
仕事でも同じです。
結果を急ぎすぎると、
あなたの動きが歪んでしまいます。
文章を書くとき、「この記事がバズるかな」ばかり考えていたら、
上手く書けなくなります。
営業をするとき、「この顧客が受注できるかな」ばかり考えていたら、
自然に人と話せなくなります。
恋愛をするとき、「いつになったら交際が確定するかな」ばかり考えていたら、
プロセスを楽しめなくなります。
功利心が強くなると、
あなたの注意は「物事そのもの」から、
「結果」のほうに移ってしまいます。
物事がしっかりできていないのに、
結果が良くなるはずがないですよね?
2つ目の理由:短期的な利益ばかり見ていると、長期的な価値を見逃してしまうこと。
収穫を急ぐ人は、
早く結果が出ることばかりやり、儲かることばかりやろうとします。
ブームが起きれば、そこに飛びつく。
儲かる業界があれば、すぐに転職する。
すぐに効果が出る方法があれば、そればかり使う。
一見すると利口で、
ありとあらゆる利益を手に入れようとしているように見えます。
でも実際はどうでしょう?
あちこち移った結果、何一つ深くやり遂げられない。
あちこち手を出した結果、何一つ身につかない。
一方「不耕獲」の人はどうでしょう?
彼らは結果を急がず、
ただ着実に物事を進めます。
短期的に見ると、彼らは少し間抜けに見えるかもしれません。
たくさん努力しているのに、何の見返りもないように見えます。
でも長期的に見れば、
彼らは物事を深く、徹底的にやり遂げ、他の人には真似できない強みを作り上げます。
最終的には、かえって大きな見返りを得られるのです。
3つ目の理由:プロセスを楽しめる人は、より遠くまで行けること。
気づいていますか?
大きなことを成し遂げる人はみな、
意志力だけで頑張っているわけではありません。
その仕事が本当に好きだから、続けられるのです。
文章を書くのが好きな人にとって、執筆は苦役ではなく楽しみです。
プログラミングが好きな人にとって、コードを書くのは残業ではなく楽しみです。
研究が好きな人にとって、実験は仕事ではなく趣味です。
プロセスを楽しめるから、
長く続けられるのです。
長く続けられるから、
遠くまで行けるのです。
一方、結果だけを目的にしている人はどうでしょう?
プロセスは彼らにとってただの苦痛です。
すべて意志力で頑張っているだけ。
意志力には限りがあるので、
長くは持たず、すぐに諦めてしまいます。
だからわかるでしょう、
「不耕獲」とは、収穫が欲しくないという意味ではないのです。
まず物事をしっかりやれば、収穫は自然についてくる。
まずプロセスを楽しめば、結果は自然に整うものなのです。
どうすれば「不耕獲」の境地になれるの?
理屈はわかっていても、実践するのは難しいですよね。
人間が完全に結果を欲しがらないなんて、ありえないでしょう?
私は「結果を完全に捨てろ」と言っているのではありません。
お伝えしたいのは——「結果」から注意をそらし、「物事そのもの」に意識を戻すことです。
具体的にどうするか?3つの方法があります。
1つ目は、目標を「プロセス」に分解すること。
「100万円稼ぐ」という結果ばかり見つめないでください。
それをプロセスに分解してみましょう——
毎日何をするべきか?
毎週何を達成するべきか?
毎月どれだけ成長するべきか?
毎日の行動に意識を向けるのです。
毎日やるべきことをきちんとこなしていれば、
結果は自然と悪くなりません。
「100万円」ばかり見つめていても、
不安になるだけで、何の役にも立ちません。
でも「今日やるべきこと」に集中していれば、
歩いているうちに、いつの間にか100万円にたどり着いているものです。
2つ目は、自分が好きだと思えることを見つけること。
もし全く好きになれないことを、
意志力だけで続けているのなら、
「不耕獲」の境地になるのは難しいでしょう。
プロセスがあなたにとって苦痛なのですから、
結果だけが自分を慰めてくれるものになってしまいます。
だから、できるだけ自分が好きだと思えることを見つけてください。
少なくとも、嫌いではないことを。
好きなことをしていれば、
いつも結果を待ちわびることはなくなります。
プロセスそのものが、ご褒美になるからです。
プロセスが楽しければ、
結果が良いか悪いかは、それほど重要ではなくなります。
そしてたいてい、結果は案外良いものです。
3つ目は、不確実性を受け入れること。
「不耕獲」にはもう一つ意味があります——
耕したからといって、必ず収穫が得られるとは限らない、ということ。
天災が来るかもしれないし、害虫が発生するかもしれないし、市場が変わるかもしれない。
人生はそういうものです。
努力したからといって、必ず報われるとは限らない。
付出したからといって、必ず結果が出るとは限らない。
この不確実性を受け入れなければなりません。
受け入れれば、それほど不安にならなくなります。
受け入れれば、もっと集中して物事に取り組めるようになります。
とにかく努力はした、
上手くいくかどうかは運次第。
でも努力しなければ、絶対に上手くいかない。
人事を尽くして天命を待つ。
それが「不耕獲」の心構えなのです。
最後に
無妄卦の六二にある「不耕獲,未畬則利有攸往」は、
とても常識に反する言葉です。
これはあなたにこう伝えています——
収穫ばかり考えないで、
結果ばかり見つめないで、
そんなに近道ばかりしようとしないで。
丁寧に畑を耕し、
丁寧に土地を開墾し、
目の前のことをしっかりやりなさい。
収穫は、来るべきときに自然に来ます。
来なかったとしても大丈夫、
少なくとも、やるべきことは全部やったのですから。
人生はただの売買ではありません。
付出した分だけ、必ず回収できるものではないのです。
人生は旅です。
大切なのは終着点ではなく、
道中で見る景色と、
その景色を見るあなたの気持ちです。
ただ先を急ぐばかりで、
道端の景色を楽しむのを忘れないでくださいね。