復卦六二:再始動で過去の人や事に引っ張られる時は?「休復,吉」――過去と丁寧に別れを告げる
復卦の六二には「休復、吉」とあり、立ち止まって休養してから再出発すれば吉とされる。低谷から立ち直ったばかりの時は、過去の人や物事に引き戻されやすい。身軽に前に進むにはどうすればいい?本稿では過去と決別する観点から、六二の休養の英知を読み解く。
こんな経験、あなたにもありませんか?
やっとひどい関係から抜け出せたのに、相手からメッセージが来ただけで、また心が乱れてしまう。
やっと最悪な環境から這い上がれたのに、昔の同僚に「戻ってこないか」と誘われただけで、また迷い始めてしまう。
やっと新しい生活を始めたのに、過去の色々なことを思い出しただけで、また気分が落ち込んでしまう。
前に進みたいのに、過去がまるでロープのように、いつも後ろからあなたを引っ張ってくる。
一歩進めば一度引っ張られ、二歩進めば二度引っ張られる。
イライラするのにどうしようもない——過去はもう過ぎたことなのに、どうして未だにしつこくまとわりつくんだろう?
地雷復の六二が、まさにこのことを語っています。
爻辞にはこうあります:「休復、吉。」
立ち止まって、しっかり休整してから進めば、吉祥である、という意味です。
どういうことでしょう?
つまり、焦って前に飛び出さなくていい。まず過去の人や物事と、決着をつけることです。
決着がついてこそ、身軽に進み出せるのです。
「休復」とはどういう意味か
「休」とは、休息、停止、休整のことです。
「復」とは、戻る、回帰する、再び出発することです。
「休復」——すぐに出発するのではなく、まず立ち止まって、一休みし、身辺を整え、気持ちを整理してから、進み出すことです。
なぜ「休」む必要があるのでしょう?
どん底から出たばかりの人は、誰もが傷を負っているからです。
誰かに傷つけられたり、物事にはまったり、生活に叩きのめされたりしたことがあるでしょう。
こうした傷は、「忘れよう」と思っただけで忘れられるものではありません。
心の奥に隠れて、時折顔を出しては、あなたを刺してきます。
「もう治った」と思っていても、実はただ抑え込んでいるだけなのです。
傷を抱えたまま前に進んでも、長くは続きません。
二歩も歩けば傷口が開き、二歩も歩けば古い記憶が蘇ってきます。
だからまず「休」む——立ち止まって、傷を癒やし、過去のことを整理してから、出発するのです。
これが「休復」というものです。
逃げているのではなく、準備をしているのです。
怠けているのではなく、「刀を研ぐのは薪を割る仕事の邪魔にならない(=準備を怠らなければ、かえって能率が上がる)」ということわざの通りです。
なぜ昔の人や昔のことに、いつも引っ張られるのか
多くの人が納得できない——「もう新しく始めようと決めたのに、どうして過去がいつも邪魔をするんだろう?」と。
理由は3つあります。
1つ目は、過去ときちんと別れを告げていないことです。
「きちんと別れを告げる」とはどういうことでしょう?
心の底から、本当に手放せていることです。
口で「もう手放した」と言っているのではなく、心から気にならなくなっていることです。
多くの人の「手放した」は、実は「思い出さないように我慢している」だけなのです。
過去のことを心の一番奥に押し込めて、存在しないふりをしているだけ。
でも、押し込めたものは消えません。気が緩んだ隙に、顔を出してくるのです。
1曲の歌、1つの場所、一言の言葉——それだけで引き出されてしまいます。
根本的に、向き合って処理していないからです。
ゴミと同じで、捨てずにただ蓋をしているだけでは、臭いは消えません。
臭くなってから蓋を開けて処理する羽目になり、かえって手間がかかるのです。
2つ目は、まだ新しい生活が築けていないことです。
人はなぜ過去を懐かしむのでしょう?
多くの場合、過去が素晴らしかったからではなく、今が十分でないからです。
今の生活が十分に充実していて、楽しくて、やりがいがあれば、過去を思い出す暇なんてありません。
毎日忙しくてたまらないのに、思い出している暇なんてあるでしょうか?
でも新しい生活がまだ築けていなくて、毎日が空っぽだと、自然と過去を思い出してしまいます。
たとえ過去が最悪だったとしても、やることがなくて暇だと、思い出してしまうものです。
だから「ノスタルジーを治す一番の方法」は、「思い出さないように自分に無理強いする」のではなく、「忙しくして、今の生活を良くすること」なのです。
今が良くなれば、過去は自然と薄れていきます。
3つ目は、昔の人や昔のことには、それ自体に慣性があることです。
どういうことでしょう?
ある人と長く一緒にいたり、あることを長く続けたりしていると、習慣ができるということです。
理性的には「もう終わりにすべきだ」とわかっていても、感情的にも習慣的にも、つい連絡したくなったり、振り返ったりしてしまうのです。
これはごく普通のことです。
習慣というものは、一日でできるものではないし、一日で直せるものでもありません。
自分に時間を与えてあげなければなりません。
緩衝期間も必要です。
「昨日まで一緒だったのに、今日から完全に忘れる」なんて自分に求めるのは、無理な話ですし、人間らしくありません。
「休復」を実践するには——過去ときちんと別れを告げる方法
では具体的にどうすれば、本当に過去と別れを告げて、身軽に進み出せるのでしょうか?
3つのことをすればいいのです。
1つ目は、「帳簿」をはっきりつけることです。
何の帳簿? 感情の帳簿、お金の帳簿、義理の帳簿——全部はっきりさせるのです。
借りているお金は、返すべきものは返し、請求すべきものは請求する。
負っている情は、謝るべきことは謝り、手放すべきことは手放す。
曖昧なままにしてはいけません。
曖昧なままだと、一番引きずりやすくなります。
「自分はまだあの人に借りがある」と思ったり、「あの人はまだ自分に借りがある」と思ったりして、いつまでも揉め事が終わらないのです。
はっきりさせて、貸し借りがなくなれば、かえってすっきりします。
ウェン老師はこう言ったことがあります:「きれいな別れは、お互いにとって最大の敬意だ」と。
本当にその通りです。
ぐずぐずと未練たらしくしているのは、一見義理堅いように見えて、実はお互いを消耗させているだけです。
さっぱりと帳簿をはっきりさせて、「さようなら」と言ったほうが、みんなのためになります。
2つ目は、自分に「儀式感」を持たせることです。
儀式感を甘く見てはいけません。
人には儀式感が必要なのです。
儀式感は、心の中に線を引いてくれるからです——
ここまでは過去、ここからは未来、と。
例えば、過去に関係するものを整理して、捨てるべきものは捨て、取っておくべきものはしまう。
例えば、二人でよく行った場所に最後に行って座り、「もう来ない」と自分に言い聞かせる。
例えば、手紙を書いて、言いたいことを全部書き出してから、焼いたり破いたりする。
複雑なことをしなくていい。ただ、自分自身にけじめをつけてあげればいいのです。
心の中のその出来事に、正式な終わりが来れば、もういつも顔を出したりはしません。
多くの人が過去に引っ張られ続けるのは、心の中の出来事に、いつまでも正式な終わりが来ていないからです。
「まだ終わっていない」「まだはっきり言っていない」「まだ後悔が残っている」と思い続けているのです。
儀式をして、ピリオドを打てば、大丈夫です。
3つ目は、急いで新しいことを始めないことです。
多くの人が、1つの関係が終わったばかりなのに、すぐに次の関係を始めます。
「失恋の傷を癒す一番の方法は、新しい恋を始めることだ」なんて言い訳をして。
実はそうではありません。
心の傷が癒えていないのに、傷を抱えたまま新しい関係を始めるのは、誰にとっても不公平です。
前の関係の問題を、次の関係に持ち込んでしまいます。
元恋人に対する感情を、新しい人にぶつけてしまいます。
最後には、新しい関係も失敗し、古い傷も手放せず、どっちつかずになってしまうのです。
だから六二は「休復」と言っているのです——まず休んで、それから出発しなさい、と。
自分に空白の期間を与えてあげてください。
その期間は、誰も愛さなくていいし、大きなことを何もしなくていい。
ただ、自分自身と向き合い、しっかり傷を癒やし、自分が何を求めているのか、はっきり考えればいいのです。
本当に大丈夫になってから、出発すればいい。
その時の出発こそ、本当の「新しいスタート」なのです。
最後に
地雷復の六二にある「休復、吉」は、とても人間味あふれる言葉です。
あなたを急かしたりしません。
「早く元気になれ」「すぐに出発しろ」「頑張れ」なんて言いません。
こう言ってくれるのです——まず、一休みしなさい、と。
しっかり休整してから、進みなさい、と。
それが正しいのです。
人間は機械じゃありません。壊れたら部品を交換すればまた動き出す、なんてことはいかないのです。
人には心があり、感情があり、記憶があります。
傷ついたら、癒やさなければなりません。
過去と別れるのにも、プロセスが必要なのです。
だから、もし今あなたが「前に進みたいのに進めない、手放したいのに手放せない」という段階にいるのなら——
自分を追い詰めないでください。
まず立ち止まりましょう。
過去の帳簿をはっきりさせ、自分に儀式感を持たせ、空白の期間を設けてあげてください。
本当に準備ができてから、出発すればいいのです。
その時のあなたは、本当に身軽になっているはずです。
その時の道は、安定して、長く歩いていけるものになるでしょう。