坎(かん)の卦(か)六四:どん底(ぞこ)で一番(いちばん)這(は)い上(あ)がりやすい人は?「樽酒簋貮(そんしゅきに)」――誠実(せいじつ)は最高(さいこう)のパスポート
人がどん底にいる時、自分を閉じこもりがちだ。うまくいっていないと思い込み、人に会うのが恥ずかしく、友人とも付き合いたくなくなる。だが坎(かん)卦の六四(りくし)は、どん底の時ほど誠実に人と接するべきだと教えてくれる。あなたが誠意を持って接すれば、困った時に相手が手を差し伸べてくれるものだ。
人がどん底にいるとき、よく見られる姿勢が2つある。
1つは:あちこちで自分の不幸を売り立て、誰かに助けてもらおうとする。
もう1つは:家に閉じこもり、誰にも会いたくない。
前者は嫌われ、後者は息が詰まる。
だが、第3のタイプの人もいる——
彼は取り繕わず、不幸をアピールせず、逃げもせず、強がりもしない。
ありのままの自分でいる。
助けてくれれば感謝する。
助けてくれなくても恨まない。
こういう人が、かえってどん底から抜け出しやすい。
坎卦の六四は、まさにこういう人のことを言っている。
「樽酒簋貳、納約自牖(そんしゅきに、やくをゆうよりいる)」
六四の爻辞にはこうある:「樽酒簋貳、用缶、納約自牖、終無咎」
酒一樽に飯二杯、瓦器に入れて、窓から差し入れる。
簡素で、質素で、誠実。最終的に咎はない。
これはどういう意味だろう?
昔、人が刑務所に面会に行くとき、正門からは入れないので、窓から物を差し入れた。
持っていくのは高価な贈り物ではなく、質素な酒と飯だけ。
使う器も立派なものではなく、普通の瓦罐だ。
だが、こんなに簡単なものでも、人が一番困っているときに届ければ、何よりも貴重になる。
誠実だからだ。
駆け引きもなければ、目的もなく、打算もない。
ただ「君が大変なのは知っている、様子を見に来たよ」という気持ちだけ。
これが坎卦六四の知恵だ。
人が困っているとき、誠実さは何よりも役に立つ。
どうしてどん底のときは不誠実になりやすいのか
人はどん底に落ちると、不誠実になりやすい。2つの表れがある。
1つ目の表れ:強がる
「大丈夫だよ」
「大したことない、自分で何とかするから」
「ほっといてくれ、一人でできる」
明らかにもう限界なのに、口では強がる。
なぜか? 見下されるのが怖いから。面子を失うのが怖いから。自分がうまくいっていないと知られるのが怖いから。
だが強がれば、他人を遠ざけるのと同じだ。
「大丈夫」と言ってしまえば、他人はどうやって助ければいい?
自分で扉を閉ざしたら、誰も入ってこない。
2つ目の表れ:不幸を売る
強がるのとは正反対で——
自分をひどく不幸で、気の毒で、大変な存在だと言いふらす。
同情を買って助けを得ようと、不幸をアピールする。
だが不幸を売って何が得られる?
一時的な同情は得られても、本当の尊敬や助けは得られない。
それに不幸を売りすぎると、本当に「不幸な人」になってしまう。
自分で「自分は不幸だ」と信じ込んだら、どうやって立ち直る?
自分を被害者の位置に置いたら、永遠に立ち上がれない。
誠実さはどうして役に立つのか
逆に、誠実さはどうして役に立つのだろう?
誠実な人には、他人が助けたいと思ってくれるからだ。
どうして誠実な人を助けたいと思うのか? 3つの理由がある。
理由その1:誠実な人は取り繕わないから、助けるのが楽
取り繕っている人と付き合うのは、疲れる。
どの言葉が本当でどれが嘘なのか、わからない。
助けてやっても、恩知らずかもしれない。
誠実な人は違う。
ありのままの自分でいる。
助ければ恩を覚えていてくれる。
助けなくても恨んだりしない。
こういう人とは、気楽に付き合える。
気楽だから、他人は近づきたいと思ってくれる。
理由その2:誠実な人には一線があるから、助けるのが安心
他人が助けるとき、一番怖いのは何だろう?
恩知らずな人を助けてしまうこと——
一度助けたら、つけ上がって離れなくなる;
十回助けても、一回助けなかっただけで恨まれる。
だが誠実な人はそうしない。
恩義を知り、節度をわきまえ、何が自分の仕事で何が他人の情けなのかを理解している。
一度助ければ、一生恩を覚えていてくれる。
助けなくても、理解してくれる。
他人が助けるというのは、実は「あなたがどんな人か」に賭けているようなものだ。
誠実さは、他人があなたに賭けてもいいと思わせてくれる。
理由その3:誠実な人には力があるから、助ける価値がある
多くの人は「誠実さは弱さだ」と思っている。
実は違う。
誠実でいるには勇気がいる——
自分ができないと認めるのには、勇気がいる;
自分の弱さをさらけ出すのには、勇気がいる;
取り繕わず、演技せず、嘘をつかないのには、勇気がいる。
誠実でいられる人は、心が強い。
心が強い人は、遅かれ早かれ立ち上がれる。
だから他人が助けたいと思うのは、あなたが不幸だからではなく、こう思うからだ——
「この人は今は大変だけど、きっと将来立ち上がれる」
「助ける価値がある」と。
どん底のとき、どうすれば誠実と言えるのか
では具体的にどうすれば、誠実だと言えるのだろう?
あちこちで「私ってひどく不幸なの」と言いふらすことではない。
会う人ごとに愚痴をこぼすことでもない。
誠実さとは——
第一に、取り繕わないこと
うまくいっていないなら、うまくいっていないままでいい。うまくいっているふりをしない。
恥ずかしいことなんてない。
誰にだって大変なときはある。
誰にだって運が悪いときはある。
うまくいっていないからといって、あなたという人間がダメなわけじゃない。
取り繕えば取り繕うほど、他人は「嘘っぽい」と思う。
ありのままでいればいるほど、他人は「頼りになる」と思ってくれる。
第二に、恨まないこと
問題が起きたら、まず自分の中に原因を探す。
口を開けば「あいつのせいだ」「運が悪かったせいだ」「世の中のせいだ」なんて言わない。
人や運や世の中のせいにしても、何の解決にもならない。
かえって「この人はネガティブだ」と思われてしまう。
誰だってネガティブな人には近づきたくない。
落ち込んでもいい、だが愚痴るな。
落ち込むのは感情だが、愚痴るのは習慣だ。
感情は過ぎ去るが、習慣はあなたをダメにする。
第三に、骨があること
誠実さは卑屈さとは違う。
助けを受けることはできても、助けを乞うてはいけない。
「助けが必要だ」と言うことはできても、「絶対助けてくれ」と言ってはいけない。
助けてくれるのは情け、助けないのは当たり前。
この道理は、いつだって忘れてはいけない。
助けてもらったら、覚えておく。将来恩返しをする。
助けてもらえなくても、普通のことだ。恨んだり恨んだりしない。
貧しいときでも、志を低くしてはいけない。大変なときでも、骨を柔らかくしてはいけない。
これこそが誠実さであって、弱さではない。
「納約自牖」の深い意味
六四の最後には「納約自牖」——窓から中に入る——という4文字がある。
どうして正門から入らず、窓から入るのだろう?
正門は表の門で、普通の道だからだ。
窓は脇道で、非常時の非常手段だ。
この言葉の意味は:大変なときには、そんなに格式や面子にこだわるな、ということだ。
普通のときは、体裁や体面や身分にこだわってもいい。
どん底に落ちているのに、そんなことにこだわってどうする?
役に立つ方法でやればいい。
抜け出せる方法でやればいい。
助けてくれる人がいるなら、その人に頼ればいい。
窓から入るのは恥ずかしいことじゃない。ずっとどん底にいるほうが、よっぽど恥ずかしい。
六四が私たちに教えてくれること
坎卦の六四は、陰爻が柔らかい位にあり、位置がとても正しい。
坎の険しい状況の中にありながら、誠実に人に接し、簡素に身を置くことができる。
だから最終的に「無咎」——咎がない——のだ。
人がどん底にいるとき、一番失いやすいのが誠実さだ。
強がるか、不幸を売るか、自分を閉じこめるか。
だが坎卦は教えてくれる:
大変なときほど、誠実でいなければならない。
他人に誠実に接すれば、他人は助けてくれる。
自分に誠実になれば、本当に立ち上がれる。
だから、もし今あなたがどん底にいるなら:
強がらず、不幸を売らず、人から逃げないで。
ありのままの自分でいればいい。
助けが必要なら頼めばいい、感謝するべきときは感謝すればいい。
誠実さは、どん底での最高の通行証だ。
誠実でいれば、道は自然に開ける。