坎(かん)の九五:「坎不盈」坑から這い上がる決め手——あと一踏ん張りで岸に着く
多くの人はどん底で負けるのではなく、這い上がれそうな瞬間に負ける。あと一歩で抜け出せるのに、手を離してしまうのだ。坎卦の九五には「坎不盈、祇既平(かんはみたらず、すでにたいらかなり)」とあり、穴はまだ満ちていないが、井口まであと少しの状態を指す。この時こそ、気を緩めてはならないのが肝要だ。
「百里の道を行く者は九十を半ばとす」という言葉がある。
百里の道を歩くとき、九十里まで来てようやく半分を過ぎたと言える、という意味だ。
なぜだろう?
最後の十里が、一番きつく、一番難しく、一番諦めやすいからだ。
多くの人はどん底で負けるのではない。もう少しで這い上がれるところで負ける。
あと少し頑張れば抜け出せるのに、「もういい、力尽きた」と言ってしまう。
手を離した瞬間、また落ちてしまう。
坎卦九五は、まさにこの決定的な瞬間のことを言っている。
「坎不盈,祇既平」
九五の爻辞は「坎不盈,祇既平,无咎」とある。
穴はまだ完全に埋まっていないけれど、もうすぐ平らになる、という意味だ。
あと一歩で、外に出られる。
大きな過ちはないけれど、まだ油断はできない。
この言葉はとても面白い。
良いと言えば——「坎不盈」、まだ満ちていない、まだ外に出ていない。
悪いと言えば——「祇既平」、もう井戸の口と同じくらい平らになっていて、もうすぐ出られる。
上にも下にもつかない、あと一歩のところ。
この一歩こそが、一番人を試すのだ。
なぜゴール直前になると、人は一番諦めやすいのか
成功が近づいたときが、一番諦める人が多いときだ。
なぜだろう?
理由その一:疲れ果てているから
穴の底から這い上がって、井戸の口に近づいた頃には、力もほとんど尽きている。
手は擦りむけるし、足は痛いし、息も上がっている。
1センチ上に進むのに、全身の力を振り絞らなきゃいけない。
こんなとき思うだろう:
「こんなに高くまで登ったんだ、ちょっと休もうか」
一度休んだら、もう二度と動きたくなくなるかもしれない。
一番きついのはスタート地点ではなく、ゴール直前なのだ。
その頃には、体力も意志力も忍耐力も、全部が限界に来ているからだ。
理由その二:先が見えないから
もうすぐだと思っているのに、どうしてもあと一歩が届かない。
明日には出られると思っていたのに、明日が来てもまだ終わらない。
「あとどれくらい遠いんだろう?」
「あとどれくらい時間がかかるんだろう?」
「私、永遠に這い出せないんじゃないか?」
先の見えない努力ほど、人を消耗させるものはない。
多くの人は困難に打ち負かされるのではなく、「希望が見えない」ことに打ち負かされる。
希望って、時にはあと一歩のところにあるものだ。
あと一日だけ頑張れば、見えてくるかもしれない。
でも頑張り切れなかったら、永遠に見えないままだ。
理由その三:疑い始めるから
ゴールが近づくと、人は一番自分を疑いやすくなる。
「本当に出られるのかな?」
「出たところで、本当に良くなるのかな?」
「出たとしても、また別の穴が待ってるんじゃないか?」
疑いが浮かんだ瞬間、気力が抜けてしまう。
気力が抜けたら、もう這い上がれなくなる。
多くの人は出る能力がないのではなく、自分が出られると信じていないだけだ。
信じられなければ、本当に出られなくなってしまう。
諦めそうになったら、この3つのことを思い出して
もし今あなたが「もうすぐだけど、まだ着いてない」段階にいて、もう持ちこたえられそうにないと感じているなら。
急いで諦めないで。まずこの3つのことを考えてみて。
一つ目:これまでどれだけ遠くまで来たか
あとどれだけ遠いかばかり気にしないで。
振り返って、これまでどれだけ遠くまで来たか見てみて。
一年前のあなたは、どんなだった?
半年前のあなたは、どんなだった?
三ヶ月前のあなたは、どんなだった?
気づくはず、思ってたよりずっと遠くまで来ていることに。
自分が思ってるより、ずっとすごい人だってことに。
乗り越えられないと思ってたこと、全部乗り越えてきたんじゃない?
ここまで頑張ってきたんだから、あともう少しだけ頑張ってみない?
どうせ九十九歩まで来てるんだから、最後の一歩くらい余裕じゃない?
二つ目:諦めたらどうなるか
諦めようとするとき、多くの人は「やっと苦しまなくて済む」とばかり思う。
でも考えてみて——諦めたらその後どうなる?
諦めたら、何もかもがなくなってしまう。
- 今まで積み重ねてきた努力が、全部無駄になる
- 今まで耐えてきた苦労が、全部水の泡になる
- 出口まであと一歩だったのに、また穴の中に戻らなきゃいけなくなる
一番残念な失敗は、能力がないせいじゃなく、もう少しで成功するところで諦めてしまうことだ。
成功の道は混んでなんかいない、最後まで頑張れる人が少ないだけだ。
あともう少しだけ頑張れば、ほとんどの人より先に行ける。
三つ目:もう一度やってみたらどうなるか
「ダメだ、もう持ちこたえられない」
本当に?
本当に限界だと思い込んでるだけじゃない?
たいていの場合、自分が限界だと思っていても、まだまだ余裕があるものだ。
人の潜在能力は、自分が思ってるよりずっと大きい。
もう這えないって言うなら、あと一歩だけ試してみたら?
たった一歩だけ。
一歩だけならできるんじゃない?
たいてい、その一歩を踏み出した後に気づくものだ:
「あれ、まだあと一歩歩けるじゃん」
そしたらまた一歩。
また一歩。
そして——いつの間にか外に出ている。
限界なんて、打ち破るためにあるものだ。
頂点だと思っているのは、ただの思い込みに過ぎない。
「无咎」は大吉じゃない
九五の結果は「无咎」——過ちがない、ということだ。
なぜ大吉じゃないんだろう?もうすぐ這い出せるのに、吉じゃないの?
まだ外に出てないからだ。
あと一歩で出られなければ、まだ穴の中にいるのと同じだ。
ここで気を抜いたら、今までの努力が全部水の泡になってしまう。
だから「无咎」の意味はこうだ:
今のところは間違ってないよ。でも調子に乗らないで、まだ終わってないから。
多くの人はこのタイミングでつまずく。
「もう大丈夫だ」「これで決まった」「問題ない」と思い込む。
そして気を緩め、驕り始め、ミスを犯し始める。
結果はどうなる?ゴール直前でつまずいて、また落ちてしまう。
「百里の道を行く者は九十を半ばとす」。最後の十里こそが、本当の試練なのだ。
成功に近づけば近づくほど、慎重にならなきゃいけない。
外に出られそうになればなるほど、真剣にならなきゃいけない。
九五が私たちに教えてくれること
坎卦九五は、坎卦の君位だ。
普通なら君位が一番良いはずだけど、坎卦の君位はただの「无咎」に過ぎない。
なぜだろう?坎の険しい状況の中では、どんなに地位が高くても、安全だとは言えないからだ。
まだ穴の中にいる限り、いつだって落ちる可能性がある。
だから坎卦九五は、二つのことを教えてくれる:
一つ目は、諦めないこと。あと少し頑張れば、着くから。
こんなに遠くまで来たんだから、最後の一歩で負けちゃダメだ。
二つ目は、油断しないこと。まだ外に出てないんだから、喜ぶのは早い。
成功に近づけば近づくほど、慎重にならなきゃいけない。
もし今あなたが「もうすぐだけど、まだ着いてない」段階にいるなら:
あともう少しだけ頑張って。
歯を食いしばって、もう少しだけ持ちこたえて。
自分にもう一度だけチャンスをあげて。
明け方が一番暗く、出口の前が一番辛い。
でも乗り越えられたら——
穴の外の空は、とても青い。
穴の外の風は、とても柔らかい。
穴の外の世界は、とても広い。
あなたには、それだけの価値がある。