勉強が手につかない時は?山水蒙の初六が教える:自分を追い詰めず、まず規則を立てよう
勉強が手につかない時は?山水蒙の初六「発蒙、刑人を用うるに利し、桎梏を説くに用い、往くに吝なり」が教えてくれる——嫌がるのは怠けではなく、蒙昧期の正常な状態で、無理強いは逆効果だ。本稿では嫌気の原因、啓蒙の方法、学習ルールの構築という3つの側面から読み解く。
学習が手につかない時、どうしたらいい?
この悩みは、学生でも社会人でも、誰もが一度は経験したことがあるはずだ。
目の前に本を置いて、字は一つ一つ読めるのに、つなげると全然頭に入ってこない。頭に霧がかかったようで、長時間見ていても何を読んだのかわからない。
そうすると、不安になってくる。
自分を責める——なんでこんなに役に立たないんだ?周りはみんな勉強してるのに、どうして自分だけ手につかないんだって。
自分を追い込む——今日はこの章を絶対読み終える、終わるまで寝ない、って。
結果はどうなった?
追い込めば追い込むほど手につかなくなり、手につかないから不安になり、不安になるからますます手につかなくなる。
悪循環だ。
もしあなたにもこんな経験があるなら、急いで自分を責めないで。まずは**蒙卦初六**を見てみてほしい。
蒙卦初六とは何か
蒙卦の初爻の爻辞はこうだ——**発蒙、利用刑人、用説桎梏、以往吝。**
ちょっとわかりにくいから、一つずつ分解して説明しよう。
「発蒙」——これは蒙昧を解き明かし、学び始め、入門のきっかけをつかむ、という意味だ。
初六は蒙卦の最初の爻で、蒙昧の始まりにあたる。新しいことに触れたばかりで何もわからず、頭が混沌として霧がかかったような状態、それがまさにこの段階だ。
これはごく普通のこと。誰だって新しいことを学ぶ時は、こういう時期を経るものだ。
「利用刑人」——この言葉、多くの人が誤解していて、体罰や人を叩くことだと思っている。
違う。
ここでの「刑人」は、規則を立て、基準を定め、模範を示す、という意味だ。人を罰するのではなく、ルールを作ることなんだ。
どうして啓蒙にルールが必要なのか?それは、蒙昧の状態にある人には方向感覚がないからだ。枠組みを与えてあげないと、あちこちに手を出して混乱してしまう。
「用説桎梏」——「説」は「脱ぐ」、「桎梏」は枷のこと。つまり、ルールを立てるのは蒙昧の枷を解き放つためであって、人を縛りつけるためではない、ということだ。
ルールは自分を制限しているように見えて、実は助けになってくれる。混乱から抜け出し、何もわからない状態から少しずつ入門していくための手がかりになるんだ。
「以往吝」——この3文字が一番重要だ。焦って急いだり、無理にやろうとしたり、苗を引っ張って伸ばそうとするようなことをすれば、問題が生まれ、後悔することになる。
啓蒙というのは、急ぐものではない。
『象伝』にはこうある——「利用刑人、以て正法なり」——ルールを立て模範を示すのは、学びに筋道をつけるためであって、人を苦しめるためではない、と。
蒙卦初六の爻は、平たく言えばこう教えてくれている:
学習が手につかないのは、あなたが頭が悪いからじゃない。まだ「蒙」の段階にいるからだ。この時に一番やるべきなのは、もっと学ぼうと自分を追い込むことではなく、まず学習のルールを立てることなんだ。
どうして追い込めば追い込むほど、学べなくなるのか
先日、ある女生徒が相談に来た。大学院受験の勉強をしているのに、全然手につかない、と。
彼女はこう言った——毎朝6時に起きて図書館に行き、十数時間も座っているんです。でも効率がすごく悪くて、一日終わっても大して進まないんです。それですごく不安になって、時間を無駄にしてる気がして、ますます手につかなくなるんです、って。
私は彼女に聞いた——どうして毎日十数時間も座ってるの?
彼女は答えた——だってみんなそれくらい勉強してるもん。私だけ勉強時間が短かったら、受からない気がするんです、って。
私は言った——それは勉強じゃないよ、自分と闘ってるだけだよ、って。
これがまさに蒙卦初六の言う「以往吝」だ——急いで先に進もうとして、かえって行き詰まってしまう。
どうして追い込めば追い込むほど学べなくなるのか?
それは、学習というのは単純作業じゃないからだ。時間をかければかけるほど成果が出るものではない。頭を使う作業だから、頭が回っていないと意味がない。
頭が朦朧としているのに、無理に知識を詰め込もうとしても、入ったところで定着しない。戸棚の扉を開けないまま中に物を詰めようとして、全部床に落ちちゃうのと同じことだ。
私は「どれだけ時間をかけたか」を「どれだけ学んだか」と勘違いしている人をたくさん見てきた。
10時間座っていても、そのうち8時間はスマホを