連絡が途絶えた友達とまた繋がれる?水雷屯の上六が教える:どん底の時、転機はすぐそこ
音信不通の友人とまた連絡が取れるだろうか。水雷屯の上六「乗馬班如、泣血漣如(じょうばはんにょ、きゅうけつれんにょ)」は人探しの極限の窮状を語るが、「何ぞ長からんや」の四字が心の支えに——物事は極まれば必ず反転し、困難が極まれば変化が訪れる。本稿では人探しの心構え、手がかりの整理、タイミングの見極めの3つの視点から解きほぐす。
音信不通の友達にまた連絡がつくだろうか?
先日、ある読者が相談に来てくれた。大学のルームメイトが突然連絡が取れなくなったのだという。
WeChatの返信はない、電話は電源が切れている、SNSの投稿も止まっている。共通の友人全員に聞いたが、彼がどこへ行ったか誰も知らなかった。
彼はこう言った。「ウェン老師、お願いです。彼は無事でしょうか? また彼に会えるでしょうか?」
私はすぐには答えず、まずこう聞いた。「探し始めてどれくらいになるの?」
「もうすぐ1ヶ月になります」と彼は答えた。
私は言った。「なら、今一番やるべきなのは、やみくもに探し続けることじゃない。まず**水雷屯の上六**を見てごらん」
水雷屯の上六とは何か
水雷屯の最後の爻で、爻辞は8文字だ。**「乗馬班如、泣血漣如(じょうばはんにょ、きゅうけつれんにょ)」**
聞いただけでひどい状況だと思わない?
「乗馬班如」とは、馬に乗ったままその場でぐるぐる回り、進もうにも進めず、探そうにも方向が見つからない様子を指す。
「泣血漣如」はさらにひどい——泣きすぎて目から血が出るように、涙が止まらない状態だ。極度の絶望と不安に囚われた人の姿を表している。
なぜ上六はこんなにもつらいのだろう?
水雷屯には全部で6つの爻があり、初九から上六にかけて、困難が次第に深まっていく過程なのだ。初九は困難が始まったばかり、六二・六三・六四は途中の苦しさ、九五は行き詰まりの苦しさ、そして上六に至っては、困難が極限に達した状態になる。
しかも上六には特徴がある——陰爻である上に、位置が一番高く、下に応援してくれる爻がいないのだ。
どういうことかというと、孤立無援だということ。下には受けてくれる人もいなければ、上には進む道もない。進退両難で、天に叫んでも届かず、地に叫んでも届かない状態なのだ。
人探しでこの状態に陥るのが、一番心が折れそうになるときだ。
でも、絶望するのはまだ早い。
『象伝』に、特に重要な言葉がある。**「泣血漣如、何ぞ長からんや(きゅうけつれんにょ、なんぞながからんや)」**
泣きすぎて目から血が出るような状態が、長く続くはずがない——という意味だ。
裏にあるメッセージは何か?——物事は極まれば必ず変わる、困難が極限に達すれば、次は好転するということだ。
水雷屯が終われば、次は山水蒙だ。蒙とは何か? 蒙は啓蒙であり、新しい始まりであり、霧が晴れて道が見えてくることなのだ。
だから「何ぞ長からんや」の4文字は、人探しをしているすべての人にとっての心の支えになる。
この音信不通の状態がずっと続くことはない。困難が頂点に達したら、次は下り坂になるのだ。
人探しで一番怖いのは見つからないことじゃない、自分が先に崩れることだ
あの読者は、1ヶ月探し続けて、体重が10キロ以上も落ちていた。
仕事も手につかず、ご飯も喉を通らず、毎日スマホを握りしめてメッセージをチェックしては、相手からの返信を待ちわびていた。
彼はこう言った。「今はWeChatの通知音が鳴るだけでドキドキして、彼からじゃないとわかるとすごく落ち込むんです。毎晩眠れなくて、勝手なことばかり考えてしまう——彼に何かあったんじゃないか? 私のことが嫌いになったんじゃないかって」
その気持ちは本当によくわかる。
人は人探しをしているとき、感情の渦に陥りやすい——見つからないから焦る、焦るからやみくもに探す、やみくもに探すから余計に見つからない、そしてさらに焦る。
悪循環だ。
これがまさに、水雷屯の上六が言う「泣血漣如」の状態なのだ。見つからないこと自体が悪いんじゃない、自分で自分を追い込んでボロボロになってしまうことの方が問題なのだ。
私は彼に言った。「まず落ち着きなさい。そんな探し方をしても、見つかる確率は上がらない。でも、あなたが先に倒れてしまう確率はすごく高い」
人探しは物探しと同じだ。
焦って探せば探すほど見つからないのに、探すのをやめたらひょっこり出てくる。
これは不思議な力のせいじゃない。焦っているとき、人の目は見えていないようなもの——自分が見たいものだけを見て、自分が正しいと思う場所だけを探すから、本当に大事な手がかりが目に入らなくなってしまうのだ。
落ち着いて頭がはっきりすれば、今まで見落としていた細かいことが、次々と浮かんでくる。
だから水雷屯の上六の第一の意味は——慌てるな、ということ。慌てても何の役にも立たないし、かえって事態を悪くするだけだ。
なぜ水雷屯の3つの爻に「乗馬班如」があるのに、上六だけが「泣血漣如」なのか
気づいたかもしれないが、水雷屯の中で「乗馬班如」は3回出てくる。
六二は「屯如邅如、乗馬班如(てんにょてんにょ、じょうばはんにょ)」——困難ではあるけれど、まだ望みがある。10年待てば報われるときが来る。
六四は「乗馬班如、求婚媾往吉(じょうばはんにょ、きゅうこんこうおうきち)」——困難ではあるけれど、下に行けば初九の応援が得られる。方向を間違えなければ出口がある。
上六になっても「乗馬班如」の状態は同じだけれど、後ろに「泣血漣如」がついてくる。
なぜ同じ進退両難でも、上六だけが泣き血を流すほど絶望するのだろう?
六二には時間があるから——若いし、待つ余裕がある。六四には応援があるから——下に助けてくれる人がいる。
上六はどうだろう? 何もない。
時間もだいぶ過ぎてしまったし、下の人とも連絡がつかなくなったし、上には道もない。あたりは見渡す限り何もなく、孤立無援なのだ。
でも、これこそが転機の始まりなのだ。
なぜか? 何もかも失ったとき、人はかえって執着を手放せるからだ。
それまでは「絶対に彼を見つけなきゃ、すぐに見つけなきゃ、私のやり方で見つけなきゃ」と思っていた。そんな執着が、あなたをその場に縛り付けてぐるぐる回らせていたのだ。
上六まで来ると、「もうどうにもできない」とわかる。
そうしたらどうなるか? 執着を手放せるようになるのだ。
手放せば、かえって考えが広がる。
前は一つの方向だけを見て探していたのが、望みを捨てたことで、ほかの手がかりに目が向くようになる。前は「どうして返事をくれないんだろう」ばかり考えていたのが、「どこに行ったのかな」と考えるようになる。
水雷屯の上六にある「泣血漣如」は、終わりじゃない。執着を全部泣き流してしまってから、身軽になって再出発するための準備なのだ。
だから水雷屯の次が山水蒙なのだ——困難が極限に達したとき、それが啓蒙の始まりなのだ。
人探しの正しいやり方:まず自分を安定させてから、道を探す
いろいろ話したけれど、じゃあ具体的に人探しはどうすればいいのだろう?
3つのアドバイスをしよう。不思議な方法じゃなくて、経験者の知恵みたいなものだ。
**一つ目:まず自分を安定させること。**
人探しは持久戦だ。電撃作戦じゃない。序盤で力を使い果たしてはいけない。
ご飯は食べるべきだし、寝るときは寝るべきだし、仕事もちゃんと行くべきだ。焦っていないわけじゃない。焦っても仕方がないだけだ。自分が倒れてしまったら、余計に誰も探せなくなる。
あの読者には、まずルールを決めるように言った——毎日決まった2つの時間帯だけ探して、ほかの時間は普通に過ごす。例えば朝起きたらメッセージを一通り確認して、夜寝る前にもう一度確認する。その間は触らない。
最初はなかなかできなくて、つい見てしまっていたらしい。でも次第に慣れて、かえってそんなに苦しくなくなったそうだ。
自分を安定させることが、人探しの第一歩だ。そして一番大事な一歩でもある。
**二つ目:一つの方向だけにこだわらないこと。**
人が音信不通になると、多くの人がまずするのは——電話をかける、WeChatを送る、SNSをチェックする、といったことだ。
それらを全部やってダメだったら、慌て出す。
でも考えてみてほしい。もし相手が本当に見つかりたくないのなら、あなたがいつも探す場所にはいないはずだ。
考え方を変えなきゃいけない。
例えば、彼が普段よく行く場所は? 以前行ってみたいと言っていた街は? 彼の一番仲の良い、あなたはあまり知らない友達は? 彼のSNSアカウントにサブアカウントはないか?
あるいは逆に——彼が一番行かなさそうな場所は? 一番ありえない場所が、実は彼が行った場所だったりすることもある。
ウェン老師はよく言う。人探しも答えを探すのも同じだ——一つの場所だけをじっと見ていても見つからない。視線を外したら、答えの方からひょっこり現れるものだ、と。
**三つ目:相手にスペースを与えること。**
これは特に大事だ。
音信不通のすべてが、トラブルに遭ったせいじゃない。ときには、ただ距離を置きたいだけのこともある。
嫌なことがあって、知られたくないのかもしれない。気分が落ち込んでいて、一人になりたいのかもしれない。あるいはただ疲れていて、しばらく姿を消したいだけなのかもしれない。
もしそうなら、追いかければ追いかけるほど、相手は深く隠れてしまう。
あなたがすべきなのは、彼を掘り出すことじゃない。「ここにいるよ。戻りたくなったら、いつでも連絡してきていいよ」と伝えることだ。
メッセージを一本送るだけでいい。返事を迫らずに、こう一言添えて——「何かあるんだろうなって思う。邪魔はしないから、必要になったらいつでも連絡して。ずっとここにいるよ」って。
それで十分だ。
彼が気持ちを立て直して、考えがまとまったら、自分から戻ってくる。
無理にもいだ瓜は甘くないように、無理やり探し出した人の心は、こちらに向いていない。
最後に少しだけ
半月ほど経って、あの読者から返事が来た。
彼は言った。友達から連絡があったそうだ。仕事でちょっとしたトラブルがあって、ストレスがたまりすぎて、一人でどこかに隠れて過ごしていたのだという。今は気持ちも整理がついて、戻ってきたそうだ。
「あんなに焦ってたのに、ただ一人になりたかっただけなんて。考えてみたらちょっと笑えちゃいます」と彼は言った。
私は言った。「笑えることじゃないよ。探していた人の苦しみは、本当に本物だから」
でも覚えておいてほしい。たいていのことは、あなたが思っているほど悪くない。
水雷屯の上六の「泣血漣如」は、見た目は怖いけれど、実はただの転換点なのだ。
困難が極限に達したら、次は戻る方向に進むだけだ。
何ぞ長からんや——こんな状態が、長く続くはずがない。
人を探すときも、物を探すときも、あるいは人間関係を探すときも、一番つらいときは、たいてい転機がもうすぐそこまで来ているときだ。
あなたがすべきなのは、ただ踏ん張ること。
慌てず、焦らず、混乱しないで。
霧が晴れれば、道は自然に見えてくるから。