引っ越して発展するのは適切? 水雷屯六四:出発前に受け入れ先を確保せよ
田舎へ帰るか大都市に残るか迷っている?北京や上海での漂流生活は価値があるの?水雷屯の六四の爻辞「乗馬班如、求婚媾、往吉、無不利」が教えてくれる——都市を変えるのはチャンスの多さではなく、そこに自分の居場所があるかどうかだ。先に受け入れてくれる人や環境を見つけてから動き出し、方向が正しければ困難でも進むべきだ。
都市を移ってキャリアを積むのは適切だろうか?
ここ2年、周りでこの問題に悩む人がますます増えている。
大都市で5年、6年と過ごしたけど、もう無理だと故郷に帰りたいと思う人もいれば、帰ったら後悔するかもしれない、「やっていけなくなって帰ってきた」と言われるのが嫌だという人もいる。
新卒で意気揚々と北京・上海・広州・深センに飛び込もうとする人もいる。家族が止めても「チャンスが多いし、若いうちに頑張らなきゃ」と聞く耳を持たない。
また、一線都市から新一線都市へ、新一線都市から杭州や成都へと、「一番自分に合った場所」を求めて転々とする人もいる。
結局のところ、核心はただ一つの問いに集約される:**私はどこへ行くべきか?**
この問いには、易経(えきけい)に答えがある。**水雷屯(すいらいてん)の六四(ろくし)**を見ればわかる。
水雷屯の六四とは何か
屯卦(とんか)の第四爻(だんよう)の爻辞(こうじ)はこうだ:**乗馬班如(じょうばはんにょ)、婚媾(こんこう)を求む、往けば吉(きち)、無不利(むふり)。**
「あれ?『乗馬班如』って六二の言葉じゃないの?どうして六四にもあるの?」と思うかもしれない。
その通り、六二も六四も「乗馬班如」——馬に乗ったまま原地で足踏みして、進むにも退くにも苦しい状態を指している。
では、違いはどこにあるのか?
六二は「十年乃(すなわ)ち字(あざな)す」——待つようにと教えてくれる。
六四は「往けば吉、無不利」——進むようにと教えてくれる。
どちらも苦しい状況なのに、なぜ片方は待て、もう片方は進めなのか?
置かれている立場が違うからだ。
六二は本当に苦しい——下から初九(しょく)に突き上げられているのに、上の九五(ごごう)とは遠く離れていて、前にも村がなければ後ろにも宿がない、身動きが取れないから、待つしかない。
では六四はどうか?見た目は苦しそうだが、下地はしっかりしている。陰(いん)の位にあって正しく、位置がふさわしい。下には初九が応(おう)してくれる(基盤がある)し、上には九五がすぐそばにいる(貴人がいる)。間に六三が挟まってはいるものの、大きな方向は通じている。
だから六四の「乗馬班如」は、一時的な苦しさに過ぎない。前に進みさえすれば、不吉なことは何もない。
肝心なのは、どう進むかだ。
「婚媾を求む」——まず味方を見つけ、受け入れてくれる人を探し、自分の居場所となる組織を見つけてから、出発するのだ。
『象伝(しょうでん)』にもこうある:「求めて往くは、明(めい)なり」
人を見つけてから動き出すのが、賢明なやり方だということだ。
都市を変えるときの第一原理:都市の良し悪しではなく、自分に「根」があるかどうか
多くの人が都市を選ぶとき、何を見ているだろう?
住宅価格が高いか安いか、チャンスが多いか少ないか、給与水準はどうか、気候は合うかどうか。
これらも大事だが、一番核心的なものではない。
一番核心的なのは何か?**その都市に、自分の「根」があるかどうかだ。**
「根」とは何か?家でも戸籍でもない。自分の人脈、コミュニティ、リソース、居場所のことだ。
対照的な二人の例を挙げよう。
一人の友人は、当時仕事を辞めて裸一貫で北京へ行った。「チャンスが多いから」というのが理由だ。行ってからどうなったか?地下鉄のような地下室に住み、何百通も履歴書を送り、何十社も面接を受けて、3ヶ月目にやっと仕事が見つかった。最初の半年はほぼ毎日カップラーメン生活だった。2年間頑張ったけど、結局帰ってきてしまった。
彼は「北京が悪いんじゃない。北京は広すぎて、自分がその中でゼロになっちゃったんだ」と言っていた。
もう一人の友人は、上海へ行く前に、上海にいる同級生や前の職場の同僚に連絡を取った。行って最初の1ヶ月は同級生の家に泊めてもらった。仕事は前の同僚の推薦で入り、入社してすぐ正社員になった。最初の週末には、友人の友人がいろんな人を紹介してくれた。半年後には、上海での人脈が故郷よりも広くなっていた。
同じ大都市へ行っても、片方は糸の切れた凧のようで、もう片方は土のついたまま植え替えられた木のよう——活着率が違うのは当然だ。
**水雷屯の六四**が「婚媾を求む」と言っているのは、まさにこのことだ。結婚しろと言っているのではなく、まず人を見つけ、