観卦六三:自分を正しく見るには?「観我生進退」——内省する人は、より遠くまで歩める
観卦の六三は「観我生、進退」(わが生を観て、進退す)と説く。自らの行いや状態を見つめ、進むべきか退くべきかを決めるという意味だ。多くの人は一生外ばかりを見つめ、自分自身をじっくり見つめたことがない。真の成長は自分を観察することから始まる。本稿は自己認識の視点から、観卦六三の知恵を読み解く。
こんな経験、ないだろうか——
同じことでも、他人がやっているのを見ると、問題点も改善点もはっきりわかって、筋道立てて説明できる。なのに自分のこととなると、途端にわからなくなる。どこが悪いのか、なぜ悪いのか、どう調整すればいいのか、さっぱり見当がつかない。
これがまさに「傍観者は清く、当事者は迷う」ということだ。
風地観の六三は、まさにこのことを説いている。爻辞には「観我生、進退(わが生を観て、進退す)」とある。
「観我生」とは、自分の人生、自分の状態、自分の行動パターンを観察すること。「進退」とは、その観察結果にもとづいて、進むべきか退くべきかを決めることだ。
言うのは簡単だが、やるのは難しい。今日は本当に「自分を見つめる」方法について話していこう。
ほとんどの人は自分を見られず、自分を騙しているだけ
なぜ自分を観察するのはこんなに難しいのだろう?
人間には生まれつき、自分を正当化する本能があるからだ。失敗しても、最初に思うのは「自分が悪い」ではなく「自分のせいじゃない」。うまくいかなくても、「自分の能力が足りない」ではなく「条件が悪かった」と考える。
他人のことを評価させれば鋭いのに、自分のこととなると良いところばかり挙げる。
心理学では「自己奉仕バイアス」と呼ばれるもので——成功はすべて自分の実力のおかげ、失敗はすべて外的要因のせい、と考えてしまうのだ。
だから多くの人の「自己反省」は、実は自己慰安に過ぎない。あれこれ反省した末に出る結論は「自分はもう十分やっている、問題は他人にある」ばかり。
そんな反省なら、しないほうがマシだ。
どう自分を観察すれば意味がある?3つの方法
本当の「観我生」とは、座って「自分はどんな人間だろう」と考えることではなく、自分の行動と結果を見ることだ。
1つ目の方法:「動機ではなく、結果を見る」
「自分は頑張っている」と思っていても、業績が上がらないなら。「もう十分頑張っている」と自分を慰めるのではなく、結果を見よう。結果が悪いのなら、努力の方向性か方法に問題がある証拠だ。
「友達には親切にしている」と思っていても、友達が次第に離れていくなら。「みんなが私に悪い」と思うのではなく、結果を見よう。関係が薄れるのには理由があるし、大半は自分にも問題があるものだ。
動機なんてものは、人を騙すことがある。自分では良かれと思っていても、相手には傷つけられると感じられることもある。結果だけは、嘘をつかない。
2つ目の方法:「単発の出来事ではなく、繰り返されるパターンを見る」
1回うまくいかなかっただけなら、運が悪かっただけかもしれない。だが同じことで何度もつまずくなら、それは自分の問題だ。
例えばいつも「ダメ男」に引っかかるなら、男性側の問題ではなく、自分の恋人選びの基準に問題があるのかもしれない。いつも上司とうまくいかないなら、上司の問題ではなく、自分のコミュニケーションの仕方に問題があるのかもしれない。
自分の繰り返しパターンを見つけることこそ、本当に自分を知る始まりだ。
3つ目の方法:「言い訳を急がず、フィードバックに耳を傾ける」
他人から悪いところを指摘されても、すぐに反論しないこと。「そんなことない」「あなたは私をわかっていない」と慌てて言わないで。
ただ聞いてみて、言われたことに筋が通っていないか考えてみよう。10言ううち1言でも正しいことがあれば、それだけで十分価値がある。
人間の自己認識には、どうしても盲点がある。自分では見えない欠点も、他人からははっきり見えるものだ。他人は自分を映す鏡なのだ。
進退の道:進むべきときは進み、退くべきときは退く
「観我生」の次に来るのが、「進退」だ。
自分が今どんな状態かを知ってこそ、次の一歩をどう踏み出すか決められる。
今の調子が良くて、方向性も間違っておらず、物事が上向きに進んでいるなら、進めばいい。力を入れて、勝ちに乗じて追い込めばいい。
今の状態が悪くて、方向性も間違っており、物事がずっと下り坂なら、退けばいい。立ち止まって調整し、場合によっては方向を転換すればいい。
多くの人は「進む」ことしか知らず、「退く」ことを知らない。退くことは失敗だ、負けだと思い込んでいる。
だが実際はそうではない。退くのは一種の知恵だ。いつ止まるべきか、いつ方向を変えるべきかを知ることは、ただひたすら前に突き進むことよりずっと大切だ。
間違った方向に突き進めば、頑張れば頑張るほど、間違いが遠ざかるだけだ。
最後に
風地観の六三にある「観我生、進退」は、突き詰めればただ一つのこと——「自覚」に行き着く。
自分にどれだけの力があるか、自分はどこが得意でどこが苦手か、いつ前に出るべきでいつ引くべきかを知ることだ。
言うのは簡単だが、実際にできる人は本当に少ない。
だが知っておいてほしい。人生は誰が速く走れるかを競うものではなく、誰が遠くまで行けるかを競うものだ。どれだけ速く走っても、方向が間違っていれば、走っただけ無駄になる。
時々立ち止まって自分を振り返り、「自分はいったい何をしているんだろう」と考えてみよう。
考えを整理してから進むほうが、やみくもに忙しくするより、一万倍もましだ。