天雷無妄 上九:なぜ求めるほど得られない?「無妄行有眚、無攸利」——努力が報われるとは限らない
無妄卦の上九には「無妄行有眚、無攸利(むもうこうにしょうあり、ところによろしきなし)」とある。極まった状況で無謀に動けば災いが生まれ、何の得もない。物事が終わったのに未練を残し、もう一度勝負を仕掛けて、これまでの利益を全て失う人は少なくない。本稿では「知止」と「損切り」の視点から、この爻の知恵を読み解く。
天雷無妄の卦の最後の爻を見ると、思わず冷や水を浴びせられたような気になる。
爻辞には「無妄行有眚,無攸利」とある。
「眚(せい)」とは、災いや過ちのことだ。
「無攸利」とは、何の得もないという意味だ。
この言葉をまとめて訳すと——
むやみに動くな、むやみに動けば災いがあり、何の得もない、ということだ。
上九の位置に来ると、
もう頂点に達していて、
もう行き詰まっていて、
もう進む道がない状態だ。
この時、
あなたにとって一番の選択は何だろう?
立ち止まることだ。
受け入れることだ。
もうあれこれ振り回さないことだ。
だが多くの人はそうしない。
「黄河を見ても心が折れない」(=最後まで諦めない)、
「棺桶を見ても涙しない」(=事の重大さに気づかない)と言われるように、
道がなくなればなるほど、無理に切り開こうとするし、
うまくいかなくなればなるほど、一か八かの勝負に出ようとする。
結果はどうなるか?
振り回せば振り回すほど状況は悪くなり、
頑張れば頑張るほど惨めな目に遭い、
最後には今までコツコツ貯めてきたわずかな財産まで、
すべて失ってしまう。
人はなぜ「妄行(むやみな行動)」をするのか?
明らかにうまくいかなくなっているのに、
明らかに頂点に来ているのに、
なぜ無理に踏ん張るのか?なぜあれこれ振り回すのか?
理由は3つある。
1つ目の理由:不甘心(=諦めきれない気持ち)。
これだけの労力を注いだのに、
これだけのものを投入したのに、
これだけ長く頑張ってきたのに、
「もうこれで終わりにしよう」なんて言われたら——
嫌だ、絶対に諦められない、と思うものだ。
「諦めきれない」というのは、人間に最もよくある執着だ。
この「諦めきれない」という3文字のために、
人は多くの非合理な行動を起こしてしまう。
投資で損をしても諦めきれず、さらに買い増して取り返そうとし、結果さらに損が膨らむ。
恋愛が冷めても諦めきれず、しつこく絡んで、最後には最後の体裁さえ失ってしまう。
仕事がうまくいかなくても諦めきれず、無理に踏ん張って借金してでも続けようとし、最後には身も心もボロボロになる。
「諦めきれない」の本質は何だろう?
それは、過去に注いだ労力を手放せないことだ。
今諦めたら、今までの努力がすべて水の泡になると思い込んでいる。
だが忘れてはならない——
過去に注いだものは、もう戻ってこない。
これ以上投入しても、損が増えるだけだ。
これは経済学で言う「埋没費用(サンクコスト)」のことだ。
すでに埋没した費用は、今の意思決定に影響させるべきではない。
だが人間は、それがなかなかできない。
2つ目の理由:侥幸心理(=「もしかしたら」という淡い期待)。
「もしかしたらうまくいくかも?」
「もしかしたら成功するかも?」
「もしかしたら奇跡が起きるかも?」
人はいつも、自分にわずかな希望を残したがる。
その希望がどんなにかすかでも、
確率がほぼゼロだとしても、
「もしかしたら」と信じたくなるものだ。
ギャンブルをする人は、まさにそうだ。
負けてもまた取り返そうとするし、
勝ってもまだもっと勝とうとする。
次の一発で逆転できると思い込んでいる。
結果はどんどん深みにはまり、最後には家族も失ってしまう。
商売をする人も、同じだ。
明らかに商売が立ち行かなくなっているのに、
「もう少し踏ん張れば良くなる」と思い込んでいる。
お金を借りて投入しても、
やっぱりうまくいかず、
また借りて、また投入して、
完全に破産するまで続けてしまう。
淡い期待は、人をダメにする。
「もしかしたら(万一)」を希望にしていると、
「一万(=ほとんどの確率で訪れる現実)」に飲み込まれてしまう。
3つ目の理由:自分が何を求めているのかわかっていないこと。
多くの人がひたすら前に進み続けているのは、
目標が明確だからではなく、
「立ち止まったら何をしたらいいかわからない」からだ。
例えばある人たちは、
仕事をしている時は毎日「疲れた」と言っているのに、
定年退職したら逆に何をしたらいいかわからなくなる。
暇で仕方なく、暇が原因で病気になったりする。
またある人たちは、
恋愛している時は毎日ケンカしているのに、
別れたら逆に慣れなくなる。
ケンカする相手がいなくなると、逆に心にぽっかり穴が空いたように感じる。
止まりたくないのではなく、
止まった後どうしたらいいかわからないのだ。
手放したくないのではなく、
手放した後、自分が何者なのかわからなくなるのだ。
だからひたすら前に進み続ける。
前に道がもうなくても、
無理矢理歩き続ける。
歩けなくなっても、這ってでも前に進もうとする。
立ち止まることは、
自分自身と向き合うことを意味するからだ。
「自分は一体何を求めているのか」という問題に向き合わなければならなくなるからだ。
そしてこの問題は、あまりにも答えるのが難しい。
「無攸利」——むやみに動く代償は何か?
むやみに動くとどんな結果になるのか?
爻辞には「無攸利」——何の得もない、とある。
得がないだけでなく、害もある。
1つ目は、今まで勝ち取ったものをすべて失うことだ。
多くの人は実はすでにそこそこうまくやっていて、
それなりの成果を上げている。
だが満足せず、
もっともっと欲しがる。
そこでさらにあれこれ振り回し、
結果は振り回せば振り回すほど、
今まで稼いだものをすべて失ってしまう。
株式市場にはこういう人が一番多い。
儲かっても手を引かず、
もっと儲けようとする。
結果、熊市(=下落相場)が来ると、
利益が消えるだけでなく、元本まで失ってしまう。
「良くなったら手を引く」というのは、
言うのは簡単だが、やるのは難しい。
人の欲望は尽きることがなく、
儲かってもまだ儲けたがるし、
良くなってもまだ良くなろうとする。
最後には、
「竹籠で水を汲む」ように、何も残らない。
2つ目は、時間と機会を浪費することだ。
もう行き詰まった道で必死にしがみついていると、
消耗するのはお金だけでなく、
あなたの時間と精力もだ。
人生の時間は限られている。
ここで3年を費やせば、
他の場所で使える3年が減る。
このことに精力を浪費すれば、
他のことをする精力がなくなる。
時には、
諦めることは負けることではなく、
損切りすることだ。
残りの時間と精力を、
もっと価値のある場所に投入することだ。
「木は移せば枯れるが、人は移せば活きる」と言う。
道を変えれば、
思いがけず開けた道が見つかるかもしれない。
3つ目は、自信を打ち砕かれることだ。
人が一番恐れるのは失敗ではなく、
何度も何度も繰り返す失敗だ。
1回の失敗なら、また立ち上がれる。
2回の失敗でも、まだ踏ん張れる。
3回、5回、10回……となると、
自分自身を疑い始める。
「私って本当にダメなのかな?」
「私って何をやってもうまくいかないのかな?」
「私の人生ってこのままなのかな?」
自信というものは、
築くのは難しいのに、
壊すのは簡単だ。
行き詰まった道で何度も挫折するくらいなら、
道を変えて、
自信を取り戻し、
再出発した方がいい。
どうすれば「妄行」しないようになるのか?
「知止(=止まるべき時を知ること)」は、一種の能力だ。
いつ進むべきかを知るよりも、いつ止まるべきかを知る方が難しい。
この能力をどう養えばいいのか?
1つ目は、損切りラインを設定することだ。
何かをする前に、
まず考えてほしい——
最悪の結果は何か?
自分が耐えられる損失はどれくらいか?
どの段階になったら、絶対に止めなければならないか?
投資なら、損切りポイントを設定する。
どれだけ損をしたら、絶対に売らなければならないかを決める。
恋愛なら、底线(=最低ライン)を設定する。
何があったら絶対に許せないかを決める。
仕事なら、期限を設定する。
どれくらいの期間、状況が改善しなかったら転換を考えるかを決める。
損切りラインがあれば、
無限に投入することはなくなる。
どんどん深みにはまることもなくなる。
2つ目は、現実を受け入れることだ。
多くの人が止まろうとしないのは、
現実を受け入れようとしないからだ。
「自分は失敗した」と受け入れようとしないし、
「この事業はもうダメだ」と受け入れようとしないし、
「自分はそんなにすごくない」と受け入れようとしない。
だが現実は現実だ。
あなたが受け入れようが受け入れまいが、そこにある。
早く受け入れれば受け入れるほど、
損失は小さくて済む。
受け入れるのが遅ければ遅いほど、
払う代償は大きくなる。
現実を受け入れるのは、負けを認めることではない。
それは——
今の状況を認めた上で、
対処法を考えることだ。
現実と向き合って争っても、
勝てるわけがない。
3つ目は、手放すことを学ぶことだ。
過去の付出(=注いだ労力)を手放し、
かつての栄光を手放し、
諦めきれない気持ちを手放し、
淡い期待を手放す。
手放すことは、諦めることではない。
手放すとは——
「この事はもうダメだ」とわかったら、
それにしがみつかないことだ。
精力を自分の元に戻し、
もっと意義のあることをすることだ。
手の中の砂は、
強く握りしめるほど、
早くこぼれ落ちる。
手を開けば、
逆に多く残せるものだ。
最後に
天雷無妄の卦の上九にある「無妄行有眚,無攸利」は、
とても清醒な(=冷静で正しい)言葉だ。
これはあなたにこう伝えている——
すべての頑張りに意味があるわけではない。
すべての努力に報いがあるわけではない。
すべてのことに、最後までしがみつく価値があるわけではない。
時には、
立ち止まることの方が、前に進むことよりも勇気がいる。
諦めることの方が、頑張り続けることよりも賢明だ。
止まるべき時を知ることの方が、進み続けることよりも貴重だ。
もちろん、
少し困難に遭っただけで諦めろと言っているわけではない。
困難は当たり前のものだ。
困難に遭っただけで諦めていたら、
何も成し遂げられない。
私が言いたいのは——
方向が間違っているなら、無理に進まない方がいい。
道が行き詰まっているなら、無理に切り開こうとしない方がいい。
事がうまくいかなくなっているなら、無理に踏ん張らない方がいい。
進むべき時は進み、
止まるべき時は止まる。
進退を自在に操れる人こそ、
本当に優れた人だ。
あなたに前に進む勇気がありますように、
そして立ち止まる智慧がありますように。