縁談がうまくいかない時の調整法は?古人は一つの卦で局面を打開する考え方を明らかにした
要約:山地剥から風地観に変わる古い卦の例から切り込み、古人が縁談の窮状に直面した際の意思決定の知恵と調整方法を述べる。
北宋の時代、張生という書生がいた。二十五歳を過ぎても結婚の話が進まず、同世代が子供を抱えるのを見るにつけ、母親は食事ものどを通らないほど焦り、彼を連れて町の易者のもとへ行き、今年の縁談を占ってもらった。占ったのは夜の二十三時、出た卦は山地剥(さんちはく)で、変卦は風地観(ふうちかん)だった。
易者は卦象を見て笑い、「これは縁がないんじゃない。自分で道を狭くしているだけだ」と言った。張生はきょとんとして、「毎日家で本を読んで、めったに外にも出ないのに、どこに道があるんですか」と訊ねた。
「ほら、この山地剥の卦は、上が山で下が地。山が地に覆いかぶさって、どっしりと重たく、まるで良いことが全部押さえつけられているように見える。『序卦伝』に『剥とは剥がれることなり、物は終わって尽きることなし』とある。つまり今は『剥落』の段階で、古い関係を片付けていないから、新しい縁が入ってこないのは当然だ」
張生はひざを叩いて「そうだった!」と思い当たった。去年話のあった縁談が破談になって一年近く経つのに、彼は時々その娘の書いた詩を読み返しては、心がもやもやしていたのだ。困難に直面したらどうするか?古人の考え方は、決して無理に耐えるのではなく、まず「何を剥ぎ取るか」をはっきりさせることだった。
剥卦で一番面白いのは、最上位にある陽爻の「上九」だ。「硕果(せっか)食らわず、君子は輿(こし)を得る」——これはつまり、手にまだ食べていない大きな果実を握りしめていて、力が入りすぎて新しいものを受け取る手が空かない、という意味だ。過去の未練を抱えたままでは、ポケットが古い飴でいっぱいで、新しい飴が来てもどこにも入れられないのと同じだ。
次に変わって出た風地観の卦を見てみよう。風が地の上を吹き、あらゆる家々の上を通り過ぎると、視野が一気に開ける。観卦は「国の光を観るは、王に賓(ひん)たるに利あり」と説く。平たく言えば、外に出て歩き、よく見て、書斎という小さな世界に自分を閉じ込めないことだ。
張生は頭をかいて、「自分は読書人で、書院と家の往復ばかりです。どこへ見に行けばいいんでしょう」と訊ねた。易者は「文章を書けるんだろう?来月、隣の県で文会が開かれる。顔を出してみなさい。人の帖子を書き写す手伝いでもいいんだ。物事がうまくいかない時の調整法は、無理にお見合いをするんじゃなく、まず“場”を変えることだ」と答えた。
毎日四書五経に向き合って、知り合いも先生か同級生ばかりで、どこから縁が来る?風地観の「観」は、観察であると同時に、展示でもある——自分を人に見せることも、自分が人を見ることも、どちらも必要だ。ずっと家に閉じこもっていたら、縁があなたを探しに来たくても、家の番地がわからないじゃないか。
難題への対処法といえば、古人の論理はとても実直だ。まず荷物を剥ぎ取り、次に視野を開く。剥卦は引き算で、心の中のもやもやした思い、手放せない未練、「食べても美味しくないが捨てるのは惜しい」というようなものを全部片付ける。観卦は足し算で、よく見て、よく歩き、よく人と接する。視野が広がれば、選択肢は自然と増えるものだ。
張生は半信半疑だったが、古い詩稿を箱の底にしまい込むと、本当に隣の県の文会に参加した。そこである老先生の詩巻を整理する手伝いをしたところ、老先生は彼の字の上手さと人の穏やかさを気に入り、すぐに自分の孫娘を紹介してくれた。年末には、張生は本当に結婚を決めることができた。
ほら、古人が占いをするのは、天から餅が落ちてくるのを待っているんじゃない。調整の方向性を教えてくれるだけだ。縁談というのは、作物を育てるのと同じ。まず土を耕して柔らかくし、雑草を抜き、種を正しい場所にまけば、自然と芽が出る時が来る。土がカチカチに固まっているのに、毎日あぜ道にしゃがんで「どうして芽が出ないんだ」と嘆いても、無駄な努力に終わるだけだ。