劉伯温の焼き餅のからくり:一枚の餅で導き出された千古の謎
一枚の焼き餅から始まった君臣の問答、『焼き餅歌』の成り立ちと背後にある面白い奥義を解き明かす。
洪武年間のある日、朱元璋は内殿で煎餅(シャオピン)をかじっていた。一口かじったところで、宦官が走り込んできて報告した:「劉基・劉伯温、参内を願い出ております」。朱元璋は目をくるくると動かし、手近な椀を取ってかじりかけの煎餅を伏せた——世間では劉伯温が占いに長けていると噂されている、今日は朕が彼を試してやろう、と。
劉伯温が入ってきて礼を済ませると、朱元璋は椀を指して笑った:「先生は数理に通じておられるが、椀の中に何が入っているかわかるか?」 劉伯温は髭を撫でながら指を折って占い、ゆっくりとこう言った:「半ばは日の如く半ばは月の如し、金龍にかじられて欠けたり」。椀を開けてみると、なるほど欠けた煎餅が入っていたではないか。
朱元璋はその場で感心し、ついでに尋ねた:「では、我が大明の国運はどうなるか?」 劉伯温は長くため息をつき、後世の人々が何百年も語り継いだあの言葉を口にした:「我が朝は子々孫々続くゆえ、問う必要はありませぬ」。これはお世辞のように聞こえる——江山が万代続くということだから。だが朱元璋は悪賢く、その場で言葉の裏を読んだ:子々孫々?つまり万暦帝の孫の崇禎までで終わるというのか?
その後の話は皆さんもよくご存じだろう。君臣が問答を重ね、次々と生まれた隠語の歌謡が『煎餅歌(シャオピンか)』にまとまった。靖難の役から土木堡の変まで、魏忠賢の専横から李自成の入京まで、呉三桂が関を開けて清軍が入関することまで、すべて見事に語られている。
中でもすごいのは、字を分解する語呂合わせだ。「八千女鬼、朝綱を乱す」とあるが、「八」「千」「女」「鬼」を合わせると「魏」の字になり、大宦官・魏忠賢を指している。また「木の下に一了、目の上に一刀と一戊丁」とあるが、「木」の下に「一了」で「李」、「目」の上に「一刀」で「自」、「一戊丁」を合わせて「成」となり、つなげると李自成になる。さらに「桂花開けて英雄よし、长城を拆ちて孝忠を尽くす」と添えられ、呉三桂が大明の长城を壊して清軍を入れたことをほのめかしている。この一連の仕掛けを聞くと、背筋が凍る思いがする。
だが、話は面白がって聞くもので、本気にしたら負けだ。『明史・劉基伝』を全部調べても、劉伯温自身が書いた『誠意伯文集』を全部読んでも、明朝の公式記録である『明太祖実録』にさえ、「煎餅で国運を問う」などという話は一言も出てこない。劉伯温は洪武八年に亡くなっている。その頃朱棣は北平でおとなしく燕王をしており、靖難の役の兆しすらなかった。彼がどうして後の永楽の年号や、姚広孝が燕王を補佐することなど知り得ようか?
要するに『煎餅歌』は、歴代の民間で不断に「更新」されてきた創作の合集のようなものだ。どの王朝にも大きな事件が起きるたびに、誰かがその事件を隠語に込めて劉伯温のせいにしてきた。劉伯温自身が民間の知恵の「最高の代弁者」だったからだ。今でも何かと良いことがあると袁隆平院士のせいにするのと同じ理屈で——庶民が信じたがるのは、未来を予言する神通力なんかではなく、「達人がすべてを見通していた」という爽快感なのだ。
あの内殿にあった半分の煎餅が、本当に朱元璋が劉伯温を試したものなのか、それとも後人が話を作り上げた小道具なのか、そんなことはどうでもよくなった。とにかく、字を分解する巧みさ、話を語る手腕があるからこそ、この椀に伏せられた何百年も前の煎餅は、これからもずっと香り続けるだろう。